越智家教
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同年9月に澄元の命令で大和に侵攻し、筒井順賢・十市遠治・越智家教ら大和国人衆を破り、大和を占拠した。翌永正5年、主君・澄元と細川高国が細川家の家督を巡って抗争すると、6月に大内義興に擁立された足利義稙が上洛、11代将軍・足利義澄と澄元を追放し将軍職に復帰、高国も細川家当主・管領に就任した。
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以後も朝経の前にしばしば敗北を余儀なくされたが、永正4年に政元が暗殺され、朝経も丹後国で戦死すると、順賢らは巻き返しを図り、大和の細川軍を追い出して本拠地へ戻った。しかし、赤沢朝経の養子・長経が政元の養子澄元の命を受けて大和へ出兵すると国人一揆は敗れて崩壊、永正5年に前将軍足利義稙が周防国・長門国の大内義興に擁立されて上洛すると国人衆は再び分裂、順賢・十市遠治は足利義稙・細川高国・畠山尚順に、古市澄胤・越智家教は足利義澄・細川澄元・畠山義英に参戦した。順賢は畠山尚順の後援の下澄胤・長経らを打ち破り、澄胤を自害に追い込み、長経を捕縛、斬首し筒井氏を再興した。
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