赤井電機株式会社
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名詞
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名前の由来は豪州の豪に太平洋の洋である。父は赤井電機の海外駐在員で、生後1年半をシドニーで過ごし帰国した。横浜市西区戸部町で少年時代を過ごした。
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ところが高野はOEMを最優先していたため、肝心の製品がJVCの販売会社に回ってこない。英国などでは、赤井電機の製品が先に出回り現地の営業マンを悔しがらせた。西独では現地駐在員がホテルに高野を訪ねてきても、冷たく突き放した。
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上から、タイマー、チューナー、カセット・テープ・デッキ、アンプ。赤井電機株式会社は、かつて存在した音響・映像機器メーカーである。
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ところが、赤井は「われわれが独自に開発したもので、永井特許には抵触してない」と、つっぱねた。そこで東通工は、赤井電機を告訴し、解決を法の場に求めた。東通工対赤井のしのぎを削る開発競争はそれからはじまった。
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森ヶ崎とJR・京急蒲田駅を結ぶ路線で、大田区西糀谷、東糀谷の地域輸送の他、ソニーグローバルマニュファクチャリング&オペレーションズ蒲田ラボなどへの通勤輸送を担う。かつては赤井電機本社などへの通勤客でも賑わった。森26系統と同じく都南自動車商会時代の1924年に開設。
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Aは赤井電機、Dは三菱電機のオーディオ・ブランド「ダイヤトーン」の頭文字。設立は、赤井電機の三菱グループ入りがきっかけだった。
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なかには特許の盲点をついて、新しいシステムを開発、挑戦を試みるメーカーもあった。その先鞭をつけたのはオーディオマニアの技術者集団を自認する赤井電機の赤井三郎である。赤井は永井特許に抵触するのを恐れ、回路にちょっとした工夫をこらし、〈新交流バイアス法〉という技術を考え出した。
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三菱電機はスピーカー、赤井電機はCDプレーヤー、およびプリメインアンプ、セパレートアンプ、アナログカセットデッキ、DATデッキ、LD/CDV/CDコンパチブルプレーヤーなどといった、両社の得意分野に専念することとなった。これを機に赤井電機は、オーディオ分野では開発・製造のみ行い営業・販売・アフターサービスは三菱電機に委託することとなり、製品はオーディオ専門店の他に三菱電機ストアーでも販売されるようになった。しかし、いわゆるミニコンポが隆盛を極めていた時期であり販売量は更に低迷。
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赤井三郎が1代で町工場から上場するまでに育て上げた会社は、皮肉にも遺産相続税のために創業家の手を離れることになった。これにより、急成長していた企業の求心力は落ち始め、また当時オーディオ業界では、CDに代表されるデジタル化が進み、テープ・デッキを得意としていた赤井電機は、デジタル製品への転向が遅れ、経営不振に陥った。その後、経営の立て直しを図るべく異業種への参入を模索していく。
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ソニーの総資本に対する利益率は、四十二年の七・四パーセントをピークに四十四年には五・七パーセントに落ちた。同業他社の松下電器の一〇パーセント台は別格としても、赤井電機は一六・八パーセント、パイオニア、アルプス電気などが九パーセント以上の高率を維持しているのにである。
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ちなみに「A&D」のAは赤井電機、Dは三菱電機のオーディオ・ブランド「ダイヤトーン」から来ている。A&Dブランドでは、赤井電機の得意分野であったアナログカセットデッキを中心に、家庭用オーディオ製品を製造販売。新規に開発参入したインテグレーテッドアンプやCDプレーヤー、DATデッキなどは一般には浸透せず、思いのほか売り上げが伸びなかったため、1992年頃にオーディオ分野から撤退した。
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出席したのはビクターから社長の松野幸吉のほか高野と開発部長の白石勇磨の三人。松下電器はビデオ技術部長の村瀬通三、日立製作所は東海工場開発部長の久保田、三菱電機は京都製作所テレビ技術部長の糸賀正己、シャープは尾島義朗ビデオ開発部長、そして八月にVHS陣営に入ったばかりの赤井電機からは開発部長の岩井克之の計八人が出席した。松野、村瀬、岩井を除いた五人は半年前、松下幸之助に松下電器が四時間録画機種の国内投入を止めるよう、直談判に行ったメンバーである。
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母親の希望で地元の東洋工業に就職を予定し、東洋工業の松田耕平社長も慶応大学OBで常任理事だった関係で九分通り入社できる予定であったが、突然のオイルショックで新卒採用が中止される。当時下り坂だった赤井電機に入社し貿易部門に5年間勤務、カダフィ大佐支配の動乱のリビアでの代金回収など、中近東、欧州市場を担当した。しかし病気の発症で度々会社を休む。
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赤井電機株式会社は、バブル崩壊に伴う高級オーディオ離れにより主力機器の販売が低迷、それによる資金不足によりDVDなどのデジタル機器の開発が遅れ、ついに2000年11月2日、民事再生法を申請した。その後AKAIブランドは、香港資本のブランドとして名前だけ存続している。
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これは1969年のU規格策定時にソニー/日本ビクター/松下電器の3社が結んだクロスライセンス契約が関係している。ソニーはテープローディング技術を始めとする非常に多数のVTR特許技術を保有していたため、ソニーとクロスライセンスを契約を結んでいなかった日立製作所、三菱電機、シャープ、赤井電機などのVHS陣営各社がVHSビデオデッキを発売した際、ソニーと特許利用契約を結ぶ必要があった。
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ダイヤトーンブランドはスピーカーのみとなり、カセットデッキやDAT、CDプレーヤー、ミニコンポ等の製品はA&Dのブランドで赤井電機が開発・製造することになった。
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A&Dは、1987年から1991年まで三菱電機と赤井電機が共同で展開したオーディオのブランド名。Aは赤井電機、Dは三菱電機のオーディオ・ブランド「ダイヤトーン」の頭文字。
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