譬喩
全て
名詞
335 の例文
(0.01 秒)
-
寄物陳思・譬喩歌の二つの部類が出来たが、比・興と言ふ程の区別もない。稀に象徴的な効果を持つて居るものもあるが、大抵単なる譬喩歌である。つまりは、元々一文章の大部分を占めて居た部分が小さく約り、其が新しい意義に甦つたことになるのである。
...
-
例へば具體的表現が理論的に加工整理されて概念的表現に移されるといふやうなことは起り得るであらう、否起らねばならぬであらう。しかしながらそのことは決して譬喩性よりの解放を意味せぬのである。永遠者はこの世にとつては徹底的に超越的である、實在的にも性質的にも超越的である。
...
-
たとえば「その泣きたもうさまは、青山を枯山なす泣き枯らし、河海はことごとに泣き乾しき」というのは、何より適切に噴火のために草木が枯死し河海が降灰のために埋められることを連想させる。噴火を地神の慟哭と見るのは適切な譬喩であると言わなければなるまい。「すなわち天にまい上ります時に、山川ことごとに動み、国土皆震りき」とあるのも、普通の地震よりもむしろ特に火山性地震を思わせる。
...
-
馬牛漢は人倫に非ず、と将軍義政の前で、云いはなって、はばからなかった禅師である。いま口にした言葉も、決して、もってまわった譬喩ではなかった筈である。新左衛門は、大いそぎで、考えはじめた。
...
-
鶴見にはかれ相応な見方がある。そこにいうところの梅花は前にいったとおり一つの譬喩に過ぎない。公案で思想を鍛えて、さて現成させる絶対境は要するに抽象世界である。
...
-
-
内部的なものが内部的に模写されるというのでは、あまり鮮かな譬喩にはならぬからである。模写というのは勿論原物が鏡に像を写すことからの譬喩の言葉だった。併し少なくとも実在を予め全く内部的なものと決めてかかることは、動きの取れない困難を結果する。
...
-
この気合で押して行く以上はいかに複雑に進むともいかに精緻に赴くともまたいかに解剖的に説き入るとも調子は依然として同じ事である。余は最初より大人と小児の譬喩を用いて写生文家の立場を説明した。しかしこれは単に彼らの態度をもっともよく云いあらわすための言語である。
...
-
その文字が、全部判読できたならば、私の立場の「義」の意味も、明白に皆に説明できるような気がするのだけれども、それがなかなか、ややこしく、むずかしいのである。こんな譬喩を用いて、私はごまかそうとしているのでは決してない。その文字を具体的に説明して聞かせるのは、むずかしいのみならず、危険なのだ。
...
-
詩人は觀相に繼ぐに觀相を以てすれども、意義に接するに意義を以てすることなきものなり。詩人は言葉とこゝろと大小相掩はざる諸譬喩を出すことを好むものなり。詩人は哲學者の如く論理の道を走りて單より複に赴くことなきものなり。
...
-
意識は一つの流れに、波紋に、円錘に、譬喩されたであろう。無論このような譬喩は意識を説明するには適切であるであろう。けれども問題はかく譬喩されるようなこの概念を今の場合、即ち相互決定に基く運動の場合、にまでも及ぼして好いか好くないかである。
...
-
一方で、『ヨハネ福音書』を仮現説的、またグノーシス主義的な文書と見る説もある。このような立場では、受肉は譬喩的な表現に過ぎないことになる。またトマスの告白なども、正統派教会の影響により、仮現説への反駁が『ヨハネ福音書』に添加されたと見なされることもある。
...
-
万葉の末期は譬喩全盛で、枕詞や序歌の様な部分的のでは満足しなくなつた。寄物陳思・譬喩歌の二つの部類が出来たが、比・興と言ふ程の区別もない。稀に象徴的な効果を持つて居るものもあるが、大抵単なる譬喩歌である。
...
-
それでも、蒲原氏、ひきつづいて薄田泣菫さん以下の人々の象徴詩に、相当にわれわれにも理会の出来るものが現れた。それを今くり返して見ると、そう言うのは、多くは、譬喩詩に過ぎなかった。われわれは、譬喩詩の持っている鍵をもって、象徴詩を開いたものと思い違えていたこともあったのである。
...
-
予が譬喩の句を好みしはこの知識上の作用、即ち理窟を含みしがためたり。
-
時間性の續く限りこの世の留まる限り、宗教的表象の譬喩性は消滅することがない。徹底的譬喩性の範圍内においては表現法の變化や進歩は見られるであらう。例へば具體的表現が理論的に加工整理されて概念的表現に移されるといふやうなことは起り得るであらう、否起らねばならぬであらう。
...
-
表象や概念は時間的生においては共同を媒介する任務に就くであらうが、何等の媒介をも要せぬ眞の愛の完き共同においては、存在さへも與へられぬ。この徹底的象徴性がしかも觀念的表現に移されるのが徹底的譬喩性である。神の言葉は全く人の言葉を超越する。
...
-
この随筆中に仏書の悪口をいうた条がある。釈迦が譬喩に云った事を出家が真に受けているのが可笑しいというのである。そして経文を引用してある中に、海水の鹹苦な理由を説明する阿含経の文句が挙げてある。
...
アマゾンで検索:譬喩