観る芝居
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そんなわけで、わたしの幼稚な頭は芝居と怪談とで埋められてしまった。明治十七年の十月、市村座で五代目菊五郎が「四谷怪談」を上演した時、わたしはお化けの芝居というものを見たいがために、一緒に連れて行ってくれと母にせがんだが、子供の観る芝居ではないといって、やはり留守番をさせられた。その頃のわたしを喜ばせたのは、絵双紙屋の店先であった。
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ここで云ふ詩人とは真の作家の謂だ。仏蘭西に於て、「舞台が詩人を駆逐した」時代にこそ、黙々として、詩人は、「一人で観る芝居」を書いてゐた。そして、その芝居が、次の時代に、凱歌をあげた。
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ミュッセは、その処女作、「ヴェネチヤの夜」が舞台的失敗に終つた結果、その後、上演を断念して、自ら「書斎で観る芝居」なるものを書き続けたが、これが、作者の死後、今日に至つて、観客の心を酔はす比類なき近代古典の中に数へられてゐるのである。序に云ひ漏してはならぬことは、この期間に於ける独逸劇の侵入とその反響である。
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其他もつと通俗的な所謂娯楽を主とするスペクタクルが非常に沢山ありまして、若い娘、年少の女性許りを以て出来てゐる、所謂少女歌劇などは変つたものであります。一方では即興的な対話を聴かせる漫才、其他喜劇的な要素をもつ寄席の芸が街に溢れてゐるといつてもよいのでありまして、斯ういふものゝ上に更に機械文明の生みました、ラヂオドラマと云ふものを加へると、目で観る芝居から、耳で聴く芝居迄の総ての形式と云ふものが作り上げられるのであります。そこでどうしてこんな多くの芝居が同じ民族の手で非常に長い期間によつて育てられ、又作り上げられて居つたかと云ふことを申しますと、つまり日本文化と云ふものが一貫した民族精神の上に、更に非常に多面的な発展を遂げたといふことが考へられるのであります。
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民衆劇であるから、一面に社会劇風の色調をも含むのであるが、それは次第に、擬古的な、原始的な、素朴味を貴ぶ祭典劇風なものに変化する。小劇場主義と大劇場主義は、両極端に於て、心理的要素と感覚的要素とに分裂し、「聴く芝居」と「観る芝居」、「対話劇」と「スペクタクル」とに対立するのである。
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