親炙
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ところで、その「言文一致」の創始に就いて、山田美妙斎と二葉亭四迷と、この両氏のどちらが早いとかおそいとか一寸本家争ひのやうな事が、それとなしに主張されてゐるが、それは余り重要な事ではない。それよりも私は両氏が各その親炙したヨーロッパ文学の影響が、その表現に就いても働かざるを得なかつた結果だと思つて、その点に深い興味を感じてゐる。元来、文学の芸術に身を委ねるものにとつて、表現のくふうといふ事は、一つの肉体上の要求と見て然るべきものであらう。
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私は中學校から高等學校にかけて内村鑑三先生の文章を愛讀した。出來るならば先生に親炙して教を請ひたいと思つてゐた。之は私のゐた高等學校の位置と便宜の上から云つて決して出來ないことではなかつた。
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著作は主に書物論、都市論を展開し、2001年出版の「書物について-その形而下学と形而上学」は、藤村記念歴程賞、翌年に読売文学賞と芸術選奨文部科学大臣賞を受賞している。吉田健一に深く親炙し、その著作の文庫解説・全集校訂などを担っている。
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連合いといっても、俗に枕添のことではない。吾人は道庵先生に親炙すること多年、まだ先生に糟糠の妻あることを知らない。よってこの先生が、枕添の有無によって、生活観念に動揺を将来したというべきは有るべきことでない。
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日本の燒物を、支那、朝鮮の如く大ざつぱに語ることは控えたい。それは讀者諸氏が余りに身邊に親炙してゐられるからである。たゞ支那、朝鮮の影響を受けて發達したものであり、それが日本化されて、そこに生命を見付け出されたところのものであることを知ればよい。
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勿論芥川龍之介の文体に就かうと考へた訣ではない。しかし堀辰雄があれほど芥川龍之介の文学に親炙し、最も近しい弟子として出発しながら、見事に芥川の影響を感じさせない文章を書いたといふその点に、私たちは敬服したと言ふことが出来る。影響といふものは無意識のうちに沁み込んで来るのだから、真似をしないことは簡単でも影響を受けないで済ますことは決してた易くはない。
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中国の典籍は、一般から遺却されようとしている。しかし、そこには偉大な文化、東洋固有の価値ある思想があるのであるから、現代化、民衆化して自由に親炙できるようにしたい。中国学の典籍の国訳事業のみでは不十分で、新しい文化的素養のある人々がその文化を現代に復活させなくてはならない。
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しかし確かに師匠は私のこの国を去るということを知って居られたようですが、実に恐ろしい人です。他にも尊いラマは沢山あるように承りましたけれども、とにかく私の親炙して教えを受け殊に敬服したのはこの方であった。これが師匠のガンデン・チー・リンボチェと私との最終のお訣れであったです。
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小説のことでは伸子も間接に影響をうけている須田猶吉に親炙して、婦人の作家に珍しく装ったところのない作風を認められていた。「わたし、いつもなまけてばかりいてわるいんですけれど、あんまりああいうものは読まないんです」 ウメ子は、ちらりと奥にある小さい金歯をのぞかせながら笑って、美しい上まぶたをつり上げるようにした。
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蕪村高弟随一人であります。もっともよく蕪村に親炙した点においては几董に似ていますが、俳句の技倆からいったら几董以上といってもいいかと思います。ともかく、几董、召波、大魯あたりはあまり力に甲乙のない天明時代の作家であります。
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打身、きり創のような時もその通りだし、心持が親切の上に、手当が上手だし、それに別段金をかけて薬品を買いととのえて置くというわけではないけれど、日頃心がけて、手近な草根木皮をとって、干したり乾かしたりして蓄えて置くものですから、急場の間に合います。これは一つは、与八が道庵先生に親炙している機会に、見よう見まねに習得した賜物と見なければなりません。あの馬鹿みたようなデカ者は、先生もやれる上に、お医者さんも出来る!
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我々にあつて芸術的欲求が根を断つてゐるといふわけではない。そこで、臨床的な話をするならば、先人の作品に、更めて親炙すること唯一つである。さうしてその「様態」に、そのフォルムに迄関心が届くやうにならなければならない。
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ここから、彼は英米系の分析哲学との対質を自覚的に試みている。彼が親炙したのは、どちらかというと非正統的な哲学者であるウィルフリド・セラーズ、特にネルソン・グッドマンであった。この事態には正統的な分析哲学への彼の深い不満が窺える。
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しかし、確かに師匠は私のこの国を去るということを知っておられたようですが、実に恐ろしい人です。他にも尊いラーマは沢山あるように承りましたけれども、とにかく私の親炙して教えを受け、殊に敬服したのはこの方であった。これが師匠のガンデン・チー・リンボ・チェと、私との最終のお訣れであったです。
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その私はげにも大馬鹿三太郎であつた。後ではまた慚愧するのだとも思はないでもないのだが、これが私の人に親炙したい気持の満たし方であり又、かくすることによつて私は人に懐き、人を多少とも解するのである。その大馬鹿三太郎を抑制することは今、この医者の友人の長男を可笑しきものとしないためには役立つのであるが、自己表現欲、或ひは又智的好奇心のためには、ただただ害があるのである。
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りんごをかじりながら街頭をあるくよりも、環視の中でメリーゴーラウンドに乗るよりもむしろいい事かもしれないのに、何かしらそれを引き止める心理作用があって私の勇気を沮喪させるのであった。そのためにこの文明の利器に親炙する好機会をみすみす取り逃がしつつ、そんなこだわりなしにおもしろそうに聞いている田舎の人たちをうらやまなければならなかった。このような「薄志弱行」はいつまでも私の生涯に付きまとって絶えず私に「損」をさせている。
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少しでも芸術的才能を持っている人であったら、たとえあけくれ古人の句中につかっていてもいつしかその個人性を発揮して何人も模倣することをゆるさない自己の新境地をひらき得るのであります。私が「埋字」のことなどを申し上げたのもこの古人の句に親炙する、もっとも卑近な方法の一つを申し上げた次第なのであります。私はどうでもいいからただ十七字を並べてご覧になるがよかろうということをまず一番に申し上げました。
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