行脚
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名詞
875 の例文
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奥山庄兵衛は犬居のはずれにある廃寺同様な寺に住んでいた。誰が見ても、諸国行脚の僧がこの寺を仮の宿にしているように見えた。
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慈念にもたつ枝が無理をいっていることがわかる。孤峯庵にいた時でも、寺をたずねてきた諸国行脚の僧はいくたりもいた。慈海和尚もぶつぶついいながら泊めたものである。
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松岡はジュネーブから〝凱旋〟した昭和八年十二月、政友会を脱党、政党解消運動を始めている。翌九年には北海道から九州まで、この運動のために遊説行脚している。ここにも、山条の挙国一致体制イズムが影響していたとみるべきであろう。
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その頃、わしは九州で、まだ年のいかん新発意でな、若いおりにはだれもがやらんならん、托鉢をやっておった。ある晩のこと、山地を行脚しておるうちに、ある小さな村へ着いたのじゃ。そこに、一軒の禅寺があったから、例によって一夜の宿を請うたのよ。
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短い場合では日帰り、長期では2か月程度の期間、房総方面を巡回した。当時、一茶に限らず俳諧師が地方を行脚することはよく行われていた。俳諧師として地方行脚を続ける中で一茶は、かつて東北や西国に俳諧修行の旅に出たように俳諧の腕を磨き、多くの俳人たちにその実力を認めてもらう機会となった。
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俳諧師として地方行脚を続ける中で一茶は、かつて東北や西国に俳諧修行の旅に出たように俳諧の腕を磨き、多くの俳人たちにその実力を認めてもらう機会となった。そして定期的な房総方面への俳諧行脚はもうひとつの大きな目的があった。それは生活のためであった。
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元禄7年、『藤の実』を刊行。芭蕉の供をして諸方を行脚し、翁最後の際にも側に侍し看護に当たった。秋挙編の『惟然坊句集』がある。
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慈円 縁の先ぐらいは貸してくれてもよさそうなものですにね。良寛 私は行脚してもこのような目にあったのは初めてです。慈円 お師匠様を打つなんてね。
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決して僕に筆を折らせたり右腕を骨折させたりしないで下さい。これは、僕が信子さんの顔写真を一枚手に持ち、全国を行脚して得た町の声です。人様の口から、うっかりでた失言の集大成です。
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大正13年、六郷町で「達磨会」を結成し後進の指導にあたった。やがて全国行脚も企図するようになったが、脳溢血で倒れたため断念した。六郷町付近の石碑の撰・書は稷山によるものが少なくなく、佐竹義重を顕彰する目的で六郷城跡に建てられた「通庵佐竹公館趾碑」も稷山によるものである。
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先日は行脚僧の体でござったが、むろんただの雲水であるはずがない。
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首里所払いを命じられた聞得大君が、王都を下りていく。今まで行脚のたびに打ち据えられていた庶民たちが、聞得大君の名を笑う。
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とにかく必要な本のリストを作ってくれれば、この冬ぺテルブルグから送ってあげましょう。行脚僧の手記などにも目を通しておくほうがいいだろうな。ああいう人たちの中には立派な人種誌学者や、東洋語の大家がいます。
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当時、ほかの大名に仕えることは、たやすいことであったろうが、磯貝は、もともと一身の栄達ばかりを求めるようなことは、けっしてなかったし、なお心には、先君への忠誠をいだいていたので、むしろすすんで世を捨てようと思った。そこで、彼は髪を切って、回竜という法名をうけ、行脚の僧となったのである。しかし、回竜は法衣のしたにも、つねに烈々とした武士の魂を蔵していた。
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天保九年になっても播隆は足を引きずりながら行脚をつづけていた。名古屋の石切町慈誓寺、愛知郡熱田町円福寺、知多郡小川村善導寺と彼の説教の旅はつづいた。
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また同年より日本全国演奏行脚と称しギターと尺八による演奏活動を行っている。また同年9月はまなみレーベルからギターのogurockとのオリジナルシングルCD「X Y」を発売。
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気仙沼を支援してくれた人たちに感謝を伝えるため、全国行脚もおこなった。
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