行住坐臥
全て
名詞
35 の例文
(0.00 秒)
-
ところが非常に健康な人は行住坐臥ともにわが身体の存在を忘れている。一点の局部だにわが注意を集注すべき患所がないから、かく安々と胖かなのである。
...
-
亭主への挨拶の仕方、手足のさばき方がかしこまつてゐればゐる程、魅力を感じるといふ不思議なことが起つてくる。様式を欠いた戦場の武辺者であればこそ一層に行住坐臥の様式を求めるわけである。太閤といへども例外ではない。
...
-
慶安年中に出た定には町人が長刀や大脇差をさして、奉公人のまねをした場合にはみつけ次第に捕えること、相撲取の下帯は木綿でなければならぬこと等を規定している。百姓の行住坐臥を微に入り細にわたって規定した御触書もある。要するに士農工商の世襲的身分制度が、厳格以上に厳格に規定され実施されたわけである。
...
-
余の時代の武人は皆、行住坐臥が戦とともにあった。飲み喰らいながら戦い、戦いながら女を抱き、眠りながらもまた戦う。
...
-
私から云えば全くありがたくない話だが事実だからやむをえないのである。私の講演を行住坐臥共に覚えていらっしゃいと言っても、心理作用に反した注文なら誰も承知する者はありません。これと同じようにあなた方と云うやはり一箇の団体の意識の内容を検して見るとたとえ一カ月に亘ろうが一年に亘ろうが一カ月には一カ月を括るべき炳乎たる意識があり、また一年には一年を纏めるに足る意識があって、それからそれへと順次に消長しているものと私は断定するのであります。
...
-
-
家光になると定とか法度とか禁令とかが、ひっきりなしに出てくる。行住坐臥から衣類わらじのつけ方まで規定してくる。士、農、工、商の身分は固定してしまって、下剋上の自由もなく、移動、移住の自由もない。
...
-
三種行儀のような念仏行事の儀式を「行儀」という。行住坐臥の四威儀のうちの「行」は歩くことである。「行」は行為・行動であるから業と同義に使われ、身口意の行いを「行業」という。
...
-
そのノウハウを覚えたら、天下無敵ではないか。随所に主と作り、行住坐臥、どこにいたって楽しむことができる。そもそも、 「なぜ私は私、同じ私」 でなきゃならないのか、私にはもはやさっぱりわからない。
...
-
玄妙の小説家、散文の魔術師、趣味の権化、記憶術の達人、とにかく当代随一の文章家であることは間違いない。芝居気があるとも見えないのに、行住坐臥どこを採っても百鬼園先生で、行屎走尿の間も芸術家である。生活によって文章が生ずるのでなく、文章によって生活が生ずるとは、正にこのことであろう。
...
-
伊織の日常は、行住坐臥、いついかなる場所にあっても、一瞬たりとも、おのれの前におのれがある意識をすてなかったのである。牀に就いている時も、闇の宙に、夜具をかぶったおのれが、じっと自分を見下ろしているのを、きびしい現実とした。
...
-
故人を懐しむのは人情の常だが、この十五年の間に私は、私が室生学校に在学してゐた頃、どんなに色々のことを教はつたかを今更のやうに思ひ出してゐた。私は先生がにこにこしながら女生徒たちに話される言葉を一言も聞き洩らさなかつたが、私はそれらの言葉よりも、室生さんの行住坐臥、一見穏かな生きかたそのものから、文士として、また人間としての生きかたを教へられたやうである。新潮社版の室生犀星全集は、私が言ふのもをかしいが、良く出来た全集だつたらうと思ふ。
...
-
この間から、私が辞を低くして、いちいち教えを乞うので、おっちゃんは何だかずいぶんいい気持そう。テレビを見ても、あれは大人物、これは小人物、と選別し、行住坐臥、大小を分けるのに夢中である。しまいに私、ふと思った。
...
-
ともかく、先生はただ世界的言語学者という高邁なるイメージからはちょっと外れて、とかくこういう悪戯心、若しくは「お茶目」な所のある都会人だった。学問というものが、ただに重箱の隅をつつくような学匠沙汰ばかりでなく、行住坐臥すべてこれ学問ならざるはないのだということを、こういう刺激的な形でお教え下さったのも亀井先生だった。私の大学院時代は、ただこういう風変りな先生の講義に呆気に取られているばかりで、それ以上専門的に師事するという気持ちは起きなかった。
...
-
しかしそれでも私は、人間の素晴らしさはこれからあとのことなのだと思い直した。「行住坐臥、運水搬柴、悉く仏作仏行」なんて言ってもお前らには解らないだろうなあと、また優越感を回復したのである。調子にのって第三章に進んでしまおう。
...
-
芸術院会員となってからの三好さんが、その詩品に於ても、その人格に於ても、値打を下げたということは考えられないのである。三好さんに親しく接したのは、亡くなられる迄のほんの一、二年のことにすぎず、それにお宅に伺ったことはないからその行住坐臥に関してまでは知らない。しかし私の見た限り、これほど詩人を絵で描いたような人はまずこの人限りではなかろうかと思う。
...
-
警官殺しの犯人も遂に悪運尽いて、事件発生後十一日の昨朝逮捕された、此地方では珍しい出来事であつた、誰もほつと安堵と快心の吐息を洩らしたことである。私は昼も夜もしよつちゆう俳句を考へてゐる、夢中句作することもある、俳人といふ以上は行住坐臥一切が俳句であるほど徹底した方がよいと思ふ。
...
-
「市の聖」と呼ばれたこの人も、初めは山中の寺にあって多くの弟子たちの指導に当たっていて、おおいに尊敬を受けていた。しかし、そうした山中での行住坐臥、立派な高僧として過ごす日々は、空也にとっては少しも心にかなうものではなかった。空也は折につけ、ふと独り言を洩らすことがあった。
...