藩公用

22 の用例 (0.01 秒)
  • という指令が、会津藩公用方から下ったのは十一日の朝であった。 池波正太郎『幕末新選組』より引用
  • 小栗が会津藩公用方の重臣に何度か会ったことは前に記した。 星亮一『最後の幕臣 小栗上野介』より引用
  • 当時の薩摩藩公用を担当し、一門家の財政改革にも着手している。
  • あくる日、わしは紀州藩公用人の三浦という侍のもとに預けられた。 浅田次郎『壬生義士伝 下』より引用
  • 黒谷に到着し、会津藩公用方外島機兵衛らに会い、この建案を大いに弁じた。 司馬遼太郎『燃えよ剣 01 (上)』より引用
  • そのため、紀州藩公用人の三浦休太郎が海援隊隊士らに襲撃される報復事件が発生した。
  • むろん会津藩公用方外島機兵衛は、そういういきさつまで知ろうはずがないのである。 司馬遼太郎『燃えよ剣 01 (上)』より引用
  • 水口藩公用方が会津藩邸にて会津藩公用方に新選組の所業の悪さを訴えたことに始まる。
  • 福本藩公用人・藤井義柄の次男として生まれる。
  • 近藤と土方が、三本木の料亭で、会津藩公用方外島機兵衛らと会食したときのことだ。 司馬遼太郎『燃えよ剣 01 (上)』より引用
  • 小林藹に関する史料は、司法官としてのものより、それ以前の江戸在勤当時の越後長岡藩公用人としてのもののほうが多く残り、その史料的価値も高い。
  • 福本藩公用人・藤井義柄の三男として生まれる。
  • 会津藩公用方の神尾鉄之丞や秋月悌次郎の申し出を受けて、あの時、会津に入っていれば、このような目にあわずに済んだかも知れぬ。 星亮一『最後の幕臣 小栗上野介』より引用
  • 維新後、盛岡藩公用人、青森県・岩手県・茨城県などの勧業課長や郡長を経て、1890年衆議院議員に。
  • 見廻組は京都守護職・松平容保の支配下にあり、磯田道史は「佐々木の兄で会津藩公用人であった手代木直右衛門が、松平容保の命で佐々木に実行させた」と、手白木が記した書を元に指摘している。
  • それを知った海援隊残党の陸奥陽之助らはこの事件は同年起きた伊呂波丸事件で龍馬に多額の賠償金を支払うことになった紀州藩公用人の三浦休太郎の恨みによる犯行だとして、海援隊・陸援隊の志願者と共に三浦を討つことを決めた。
  • 歳三は、建仁寺けんにんじのある塔頭たつちゆうで会津藩公用方外島機兵衛と会談し、そのあと、沖田総司ひとりをつれて、大和大路を北にむかった。 司馬遼太郎『燃えよ剣 01 (上)』より引用
  • 特に家臣に関するものは、小諸諸士分限帳、小諸藩公用留、牧野遠江守御届留の3点に記述が集中している。
  • また、慶応2年9月12日に起きた三条制札事件の際には三番組に属し報償として金千疋を受け取り、慶応3年12月7日の天満屋事件の際には原田左之助隊に属し斎藤一、大石鍬次郎らと共に紀州藩公用人三浦休太郎らの護衛にあたった。
  • そこで、三浦から泣きを入れられた近藤が、「紀州藩公用人の御身は、われらがお守り申す」と大見得を切り、えりすぐりの十名ばかりを張りつけておったというわけじゃ。 浅田次郎『壬生義士伝 下』より引用
  • 次へ »

藩公用 の使われ方