薛冑
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名詞
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綦良が史祥の攻撃を受けると、軍を捨てて薛冑を頼った。朝廷は薛冑に二心あるものと疑い、逮捕して大理に送った。相州の官吏や民衆は薛胄に恩義を感じていたため、宮殿を訪れて薛冑の無罪を訴える者100人あまりにのぼった。
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河東の薛冑が大理卿となって、趙綽とともに名を知られた。薛冑が情実で判断したのに対して、趙綽は法を守り、ともに大理の職で呼ばれた。仁寿年間、在官のまま死去した。
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後に趙綽の位は開府儀同三司に進んだ。河東の薛冑が大理卿となって、趙綽とともに名を知られた。薛冑が情実で判断したのに対して、趙綽は法を守り、ともに大理の職で呼ばれた。
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まもなく兗州刺史に任じられた。薛冑は兗州に着任すると、未決囚数百人の処分を10日ほどで決めてしまい、獄舎は空になった。陳州の向道力という人物が、偽って高平郡太守と称し、高平郡に赴こうとしていた。
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綦良は攻撃をやめて進軍し、黎陽攻略を図った。綦良が史祥の攻撃を受けると、軍を捨てて薛冑を頼った。朝廷は薛冑に二心あるものと疑い、逮捕して大理に送った。
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薛冑は鵝羊山に進出し、叔慎は侯正理や樊通らを派遣してその進軍をはばもうとしたが、衆寡敵せず敗れた。薛冑は勝利に乗じて湘州に入城し、叔慎を生け捕りにした。
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薛冑は鵝羊山に進出し、陳叔慎の派遣した侯正理や樊通らを撃破し、勝利に乗じて湘州に入城して、陳叔慎を生け捕りにした。隋による統一で天下太平となったことから、薛冑は封禅の儀式を行うよう文帝に勧めるべく、博士を泰山に派遣して古跡を調査させ、『封禅図』を編纂して上奏した。文帝は遠慮して封禅の決行を許可しなかった。
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大象年間、開府儀同大将軍に上った。隋が建国されると、薛冑は魯州刺史に抜擢されたが、赴任しないうちに検校廬州総管事を命じられた。まもなく兗州刺史に任じられた。
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朝廷は薛冑に二心あるものと疑い、逮捕して大理に送った。相州の官吏や民衆は薛胄に恩義を感じていたため、宮殿を訪れて薛冑の無罪を訴える者100人あまりにのぼった。薛冑は罪に問われて官爵を剥奪され、一兵卒として嶺南に配備されることとなり、その道中に病没した。
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文帝は遠慮して封禅の決行を許可しなかった。後に薛冑は郢州刺史に転じ、善政で知られた。召還されて衛尉卿となり、まもなく大理卿に転じた。
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薛冑は鵝羊山に進出し、叔慎は侯正理や樊通らを派遣してその進軍をはばもうとしたが、衆寡敵せず敗れた。薛冑は勝利に乗じて湘州に入城し、叔慎を生け捕りにした。
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隋軍は長江を渡って建康を陥落させた。隋の楊素の部将の龐暉が南方の湘州に派遣され、薛冑が湘州刺史となって湘州に向かった。龐暉が陳の岳陽王陳叔慎の騙し討ちに遭って殺害されたため、薛冑は援兵を求め、行軍総管の劉仁恩が新たに派遣された。
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隋の楊素の部将の龐暉が南方の湘州に派遣され、薛冑が湘州刺史となって湘州に向かった。龐暉が陳の岳陽王陳叔慎の騙し討ちに遭って殺害されたため、薛冑は援兵を求め、行軍総管の劉仁恩が新たに派遣された。薛冑は鵝羊山に進出し、陳叔慎の派遣した侯正理や樊通らを撃破し、勝利に乗じて湘州に入城して、陳叔慎を生け捕りにした。
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諡は質といった。子の薛冑は、帥都督を初任として、上儀同・司金中大夫・徐州総管府長史・合州刺史を歴任した。北周の末年に、開府儀同大将軍に上った。
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龐暉が陳の岳陽王陳叔慎の騙し討ちに遭って殺害されたため、薛冑は援兵を求め、行軍総管の劉仁恩が新たに派遣された。薛冑は鵝羊山に進出し、陳叔慎の派遣した侯正理や樊通らを撃破し、勝利に乗じて湘州に入城して、陳叔慎を生け捕りにした。隋による統一で天下太平となったことから、薛冑は封禅の儀式を行うよう文帝に勧めるべく、博士を泰山に派遣して古跡を調査させ、『封禅図』を編纂して上奏した。
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