荻野吟子

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  • そこにはかつて東京で女流第一級の知識人、と称された荻野吟子の面影おもかげはなかった。 渡辺淳一『花埋み』より引用
  • 日本初の女医である荻野吟子は1897年から1908年まで当地で生活した。
  • その顔はいつもと変らぬ女医荻野吟子の厳しく研ぎすました表情に戻っていた。 渡辺淳一『花埋み』より引用
  • いずれにせよ近代医学をおさめ、官で公認した女医の第一号が荻野吟子であったことは明白である。 渡辺淳一『花埋み』より引用
  • 有志惣代はいずれも当時の矯風会きょうふうかいの中心的人物だが、この中にもちろん荻野吟子の名がみえる。 渡辺淳一『花埋み』より引用
  • 日本最初の女医である荻野吟子もその門下の1人であった。
  • 日本最初の女医、荻野吟子の生涯を題材とした作品である。
  • 七、八年前、北海道へ旅した折に、北海道出身の作家である木野工きのたくみ氏から渡辺氏が荻野おぎの吟子の資料蒐集しゅうしゅうにつとめているという話を耳にした。 渡辺淳一『花埋み』より引用
  • 創立当初は、東京市下谷区西黒門町の荻野吟子宅に開設した、少女の孤児を対象とした女子教育施設であった。
  • だが戸を開けようとした時、その木戸に「荻野吟子殿」と墨の色もなまなましく大書されていた。 渡辺淳一『花埋み』より引用
  • 他に荻野吟子の養女竹ノ谷トミ氏、遠戚にあたる常見育男氏らの口述資料から得るところ大であった。 渡辺淳一『花埋み』より引用
  • 被災地で保護した20名余の女子の孤児を引き取って、私財を拠出し、聖公会からの義援金を加え、荻野吟子女医の自宅を借り受けて、聖三一孤女学院を開設し、孤女を収容し、彼女たちへの教育を開始した。
  • 二間幅の玄関の真上に、「産科婦人科、荻野医院」と墨のあとも鮮やかに大きく横書きに書かれ、それを支えるように戸口の右手に、「女医、荻野吟子」と二尺はあろうかという表札が垂れ下っている。 渡辺淳一『花埋み』より引用
  • 本書を書くにあたり文献資科として『荻野吟子』『日本女医史』『今金町史』『東瀬棚町史』などを参照させていただいた。 渡辺淳一『花埋み』より引用
  • 哲学の大西祝、心理学の元良勇次郎、国文学の大和田建樹、音楽の幸田延子、英語の津田梅子・若松賤子、医学の荻野吟子らも教え、富井於菟・新井奥邃・島田三郎・植村正久・内村鑑三が講師を勤めた時期もあった。
  • すなわち「荻野吟子」である。 渡辺淳一『花埋み』より引用