船成金
36 の例文
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第一次世界大戦時の大戦景気で成功した「船成金」の一人として知られる。朝鮮半島で大規模な虎狩りを催して「虎大尽」とあだ名され、名宝『佐竹本三十六歌仙絵巻』を買い付けるなど、莫大な財産を豪快に使ったエピソードで知られるが、戦後恐慌で財産を失った。
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私がむかし外遊していた頃はそう呼ぶのに未だはばかるところがあった、しかし今は名実共に日本は世界の強国に伍したのだ。それから突然、あまり関連もなく彼は船成金の悪口を言いはじめた。彼らがあっという間に自分の何十倍も金儲けをしたことが面白くなかったのかも知れないが、基一郎はこう予言した。
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つまりかれは、ゴルフの修行のために渡英し、モリスの影響を受けた愛書家となって日本に帰って来たのである。第一次大戦中、神戸には船成金が続出したが、かれはその一人だった。戦争が終ったあとには、豪遊やら相場の失敗やらで無一文になり、準禁治産者の宣言を受けていた。
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同時に戦争に供する物資・兵器の需要が高まり、日本からは船舶の供給、海運業務を中心とする物資・サービスが提供された。この影響でいわゆる「船成金」が生まれるなど日本経済は好況を呈した。このとき、明治以来債務国であったものが債権国に転じ、正貨が大いに蓄積された。
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ヨーロッパは軍需生産を優先してアジア市場が供給不足となり、日本は繊維製品や雑貨の輸出の増加によって経済成長をした。輸出増によって対外債務が減少し、船成金と呼ばれる資産家が多数出現した。経常収支黒字により日本は累積債務を解消して債権国となり、大戦景気と呼ばれた。
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広海二三郎といへば、人も知つてゐる通り船成金の一人である。船成金といへば、大抵船を売買して懐中を膨らませた連中だが、広海氏のは少し違つてゐる。
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彼らがあっという間に自分の何十倍も金儲けをしたことが面白くなかったのかも知れないが、基一郎はこう予言した。船成金たちには来年は苦しい年となるであろう。それにひきかえ、わが楡病院は地道に着実に発展の道を辿ることであろう。
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そして次の月曜には必ず訪問するという約束をしたのである。ところが、彼女の宅を聞くに及んではじめて気がついたことなのだが、そして気がつくと同時に少なからず驚いたことなのだが、彼女の良人というのは、有名な船成金の五十嵐仙太なのである。一体五十嵐仙太というのは幾歳ぐらいの男だろうか。
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また、石炭や造船関係の会社経営にも乗り出した。山本唯三郎は大戦景気で成功した典型的な船成金であり、最盛期の資産は約4千万円だと噂された。山本の妻の父は代議士を務めた石黒涵一郎であり、石黒は引退生活を山本家で送っていた。
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広海二三郎といへば、人も知つてゐる通り船成金の一人である。船成金といへば、大抵船を売買して懐中を膨らませた連中だが、広海氏のは少し違つてゐる。
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政友会はこれに対し、憲政会総裁の加藤高明に対し、内田信也が金5万円を選挙資金として贈ったという「珍品五類事件」を取り上げて、これに応酬した。内田は、徒手空拳に近い状態から第一次世界大戦中の好景気に乗って船成金となった人物であったが、政友会に深く食い込んでいながら、加藤にも献金していたのである。
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山本唯三郎は「捨てるようにカネを使った」という。内田汽船・山下汽船・乾汽船など船成金は他にもあったが、山本の豪遊ぶりは突出していた。もっとも、『瀬戸内の経済人』を記した赤井克己は、「百円札に火をつけた」とされる件も含め、「船成金神話」がすべて山本の行動とされている嫌いがある、と述べている。
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あの巨大な石垣の上に邸をきずいた大正の船成金などは例外だったし、坂の上の邸町はこれは土地の旧家たちのもので、邸町といっても、土塀、こわれた板塀など、古めかしいものだった。しかし、駅を中心に、特に北へともり上る急斜面につくられた住宅街は、これは大正末から昭和初期へかけて、関西の新興|「中の上」《アツパー・ミドル》の階級の人たちがつくり上げたもので、当時の和洋折衷や、「モダアン」趣味が、さりげなく、ところどころ濃厚にあらわれていた。
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船成金雨宮万造氏の喜寿のお祝いに招かれた客たちは、その時のなんとも名状できぬ変梃な感じを、長い後まで忘れることができなんだということだが、それも洵に無理のない話。
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第三に浪速倉庫の処分。台湾銀行からの依頼で買入れた倉庫だが、折からの船成金の簇生で、その中から言い値で買おうという者が出て来たので、西川としては、売却の決心をかためた。第四に、東工業の事業縮小。
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第一次大戦のとき日本で儲けたのは海運業者であった。船成金ができて、金のこはぜの足袋をはいたとさわがれたが、一般の人民生活は、それに便乗してせめても銀のこはぜの足袋でもはいただろうか。大正九年の大パニックで破産したのは郵船の株主ではなかった。
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しかもそれは雨宮氏の予感より、遥かに恐ろしい形をもってやって来たのである。それはさておき、雨宮氏の邸宅というのは、代々木のお船御殿とて付近でも評判の変わった建物、邸の外観が船みたいな格好をしているのは、船成金雨宮氏がとくに所有の豪華船の一部を模してつくらせたものとやら。このお船御殿に今日しもひらめくは五色の万国旗、船首にあたる二階の露台には、目もあやな大薬玉が吊されて、進水式まがいに鳩を放とうという趣向、その他模擬店余興場など、用意万端ととのって、正午ごろには早くも客がボツボツとやって来る。
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