縊死体
18 の例文
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ここに死に場所を求めて来る者はもう、死者の気持ちになっているのだなと、仁平にはわかった。仁平がそこで初めて目のあたりにした縊死体は、最後の三人目であった。桜の花弁をようよう散らすほどの弱い風に、痩せた体は揺れていた。
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全くそれは愚劣なものだ。私はもう何度も縊死体といふものを見たことがあるが、実際見られたものぢやない。主要なことは人生の愚劣さを知ることではなく、自殺の愚劣さを知ることである。
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しばらく村の人達からいたわられて暮らしていたが、或る日、又ゆくえ知れずになってしまう。森のなかの例の橅の木に彼が縊死体となって発見せられたのはそれから間もなくの事だった。彼は実はフリイドリッヒだったという噂が立ちはじめる。
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その日の昼自宅にて縊死体で発見される。遺書などは残っておらず、警察も事件性なしと発表。
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お冬は一番尖端の鎖に扱帯をとおし、それを輪結びにするとそこへ自分の首をおいて、足下の木箱を蹴ったのだろう。彼女の縊死体が発見されたとき、そこに大小ふたつの木箱がころがっていたという。金田一耕助はまもなくその家を出たが、ふりかえってみると平家建てとはいえ、累々層々たる甍のたたずまいは、いかさまご大家のあとと偲ばれ、もしそれが完全な容として残っていれば、威風堂々としてあたりをはらっていたにちがいない。
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金田一耕助氏のような合理主義者でさえ、 「世の中には理外の理というものがあるもんですね」 と、憮然としていたくらいだから、私などがいくら考えたところでわかるはずがない。ただひとつここに付け加えておくが、法然さんはあれから十日ほどのち、たそがれ峠の山深く、縊死体となって発見されたそうである。法然さんはひとの手によって縊られたのではなく、みずから縊れて死んだのだそうである。
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もちろんこれでは低すぎるのであるが、それならどれくらいの高さが良かろうかと考えた。縊死体というのはたいてい一尺くらいも頸が長くなっているものだともう幾度も聞かされたことがあったので、嘘かほんとか解らなかったが、もう一つ上の枝に帯を掛ければ申し分はあるまいと考えた。しかし一尺も頸が長々と伸びてぶら下がっている自分の死状はずいぶん怪しげなものに違いないと思いだすと、浅ましいような気もして来た。
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そしたら、あの家のすぐちかくに住んでいる詩人先生があの家をしってたんだね。なんでもその詩人先生、昭和二十二年か三年にあの家でご婦人の縊死体が発見されたとき、大いにヤジウマ根性を発揮して、わざわざ見物に出かけたそうだ。
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コツコツとタタキを歩いてきて、安三がタタキにおいた死体へ近づくと、かぶせてあった風呂敷をはらいのけた。縊死体は湯平でみた時より硬直をまして固くなっている。
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斜面の栗の枝にベルトを結えて、首をさしこみ、足を蹴ったらしく、斜面にはすべった跡があった。片足だけ下駄を履いて、縊死体は発見されている。薪をとりにきた村の「磯辺館」の風呂番の男が発見者だった。
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討伐隊は辺り一帯の岩窟や、森林など、全区域にわたって捜索し、冬も深い十二月十日ようやく下山することができた。闘いの跡を点検するために知事水越幸一もまた隊の先頭にたって全山を探索したが、深林のなかの蕃婦や子供らの縊死体を眺めた時、思わず悲哀な感動に打たれた。彼らの大部分は死出を飾るために殆んどすべて内地人の着物を着ていたが、それらは撫育するために水越知事自身がすぐ前、同じ年の春トラックに積んで贈ったものだったからである。
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絞殺されていた。そのかたわらに、セイさんの縊死体があった。花六の首に巻きついたのは、セイさんの汚れた手拭いだった。
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第1回鮎川哲也賞を受賞した、作者のデビュー作。ミニコミ誌サークル「オンザロック」のメンバーの共同下宿・泥濘荘でメンバーの一人が縊死体で発見される。それを皮切りに、次々と止まることを知らないかのように連続殺人へと発展していく。
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この間、審査員に挙げられ、また受賞歴があり、また絵画団体を結成し、また明治神宮絵画館壁画『憲法発布観兵式行幸啓図』を描いた。大酒のために心身を害して昭和9年4月に失踪し、名古屋市中門前町本願寺別院境内で縊死体で発見された。
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しかしながら、唄はウワサ歌としての性質を持ち、実在の事件は脚色されていったとみられ異説が多く、かんつめは怠け者だったともいわれる。中には自殺したかんつめの霊といつも通りに唄掛けをして「あかす夜やくれて汝きゃ夜や明けり、果報せつぬありば また見きょろ」と歌われてぞっとした岩加那が上を見るとかんつめの縊死体があったという怪奇的なバリエーションもある。元々哀調を帯びた唄であったが、1970年代以降の舞台芸能化に伴いより哀しげに歌われるようになっていった。
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また遺体の姿勢に関しても、本件のように尻を突き出して両膝を曲げつつ片足は爪先立ちし、さらに両脚の間に火鉢がくるという様態は、自殺の場合には決して起こり得ないものである、と主張した。加えて、高山は日本国外での縊死体の研究例を引き、溝の位置に索溝が生じる割合はマシユカの研究では160例中1例、ベルリン法医学教室の研究では169例中9例と極めて稀であり、甲状腺腫などを患っていない限り索溝が溝の位置を外れることもまずない、と述べた。以上のように高山は小笛の自殺の可能性を否定し、中田と同様、小笛は首に巻かれた帯を下方向に引き結ばれて絞殺されたと鑑定した。
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事件が発生した地域を管轄する麹町警察署が捜査にあたったが、目撃証言がなかったこともあり、容疑者の手掛かりを見つけるに至らなかった。事件発生の3年後となる1905年5月24日、麹町区四丁目八番地に所在する薬店の店主である都築富五郎が何者かに電話で誘い出されたまま帰らず、東京府豊多摩郡代々幡村代々木の山林において、縊死体となっているのが発見された。麹町警察署は、同薬店に度々出入りしていた野口男三郎に注目し、その後の捜査の結果、先の少年の臀肉が切り取られた事件の真犯人ではないかと考え、同年5月29日、甲武鉄道飯田町駅において、野口男三郎を逮捕した。
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