続古今

63 の用例 (0.01 秒)
  • よく和歌を詠み、その作品は『新続古今和歌集』にも収められている。
  • 家隆と定家との比較を論じないで、一挙に新続古今・新葉辺に到達する幅飛びを試みなければならなくなつてゐる。 折口信夫『短歌本質成立の時代』より引用
  • そのためか『新続古今和歌集』に正徹の歌は入集していない。
  • 蓮性の子は行家といって後に『続古今集』撰者の一人に加わったが、その後六条家は歌壇に殆ど勢力を失うのである。 風巻景次郎『中世の文学伝統』より引用
  • 一流の歌人でもあり、歌は「新続古今和歌集」に収められている。
  • 歌人でもあり、『新続古今和歌集』に和歌一首が収められている。
  • 藤原定家は家良と共に『続古今和歌集』撰者となった九条基家よりも家良の方を評価していたようであるが、摂関家庶流でありながら内大臣に任ぜられた家良と基家は歌人としての評価による昇進と見ることができる。
  • 勅撰集最後の『新続古今和歌集』ころに至って、歌道の家としての二条家の正統は姿を消すことになった。 久保田正文『百人一首の世界』より引用
  • 藤原定家が亡くなった後は定家の子為家と対立し、1262年「続古今和歌集」の撰者の一人に選ばれた。
  • 新千載和歌集に五首、新拾遺和歌集に八首、新後拾遺和歌集に三首、新続古今和歌集に一首の歌がそれぞれ収録されている。
  • それから四世の孫雅世まさよがはじめて最後の勅撰集の『新続古今集しんしょくこきんしゅう』に撰者となったので、中世歌壇ではさまで大きな家筋ではない。 風巻景次郎『中世の文学伝統』より引用
  • 二条派の尭孝と相対して、一時の双璧そうへきと見られたが、二条派の末輩は敵方の総帥として過大に敵視し、永享十一年に撰ばれた勅撰和歌集第二十一代の『新続古今集』には一首も歌が採られなかった。 風巻景次郎『中世の文学伝統』より引用
  • また、鎌倉幕府とも関係が深く、東国に下った時に詠んだ和歌が『続古今和歌集』に所収されている。
  • 此歌は続古今集に載せられている。 幸田露伴『連環記』より引用
  • 当主として有能なだけではなく、和歌にも優れた教養人であり、『新続古今和歌集』には多くの作品が遺されている。
  • 勅撰歌人であり、『続古今和歌集』以下の勅撰和歌集に27首が入集している。
  • 新千載和歌集は尊氏の執奏により後光厳天皇が撰進を命じたものであり、以後の勅撰和歌集は、二十一代集の最後の新続古今和歌集まですべて将軍の執奏によることとなった。
  • 施策の手本は父・義満に求めたと思われ、前述の称光天皇死後の皇位継承問題を手がけたのもその一端であり、後花園天皇の新続古今和歌集は義教の執奏によるものである。
  • なお、続後撰和歌集、続古今和歌集、続拾遺和歌集には歌が収録されている。
  • 正成を恐れさせたほどの武勇を持つ反面、和歌にも優れた才能を発揮し、『新続古今和歌集』には公綱の作品が修められている。
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続古今 の使われ方