竹馬の友
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名詞
102 の例文
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それは彼の偉大な頭を持って有名な俺の竹馬の友、Nという男がもっている筈だ。俺の「病気」はまだ大したことはないから心配するな。
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わしの竹馬の友ともいうべきニコライ・ペトローヴィッチの御子息ですね?
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私が、あのかけがえのない竹馬の友と、どのような別れをしたのか。誰にも語ってはいないその日のことを、できるかぎり正確にお伝えしたいと思います。
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後述のような文化もあってか、現在では異性の相手を思い浮かべる人も多いようである。本来は同性・異性を問わない、いわゆる「竹馬の友」を指す言葉である。
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算えの十六とはいえ父の囚われた今、私は大野家の主でした。御組頭として、また竹馬の友として、このようなとき父ならどうするのでしょう。戦が終わり、静まり返った御城下にはしんしんと雪が降り積んでおりました。
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しかしお続けなさい、僕は興味がある。竹馬の友を殺した私の動機とはいったいなんです?
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山口県知事から大阪府知事へというのは、例のない栄転である。林は、熊本県人で鳥居とは竹馬の友、済々黌まで机を並べた仲である。その林の大阪府知事への抜擢は、彼を仲介として鳥居を軟化させようとの後藤の意図によるものといわれた。
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よく来てくれた。吾輩の竹馬の友といったら、今では君一人なんだからね。
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その時には祖父さんはまったく子供となって子供とともに遊ぶのであった。先達て途中で私を呼びとめた者がいるから、誰れだろうと思ってふり向いて見ると例の竹馬の友であった。彼は私の祖父さんのことは今に忘れられない、あんな慈悲の深い人はまたといないといって涙ぐんだ。
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わたしは二人の会見のもようを詳しく知ることはどうしてもできなかったが、その後幾度となくその場面を想像してみた。いちばん考えられるのは、彼がはじめから彼女のまえで愛する親友の身を案ずる竹馬の友としての役割を演じたであろうということである。
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大閤秀吉が歿ったのは、慶長三年八月のことだったが、その一周忌にもならない、翌慶長四年三月に加賀の国主、前田利家が薨じた。前田利家は織田信長の家臣であり、秀吉とは竹馬の友であった。五大老の筆頭として、まだ幼い秀頼を補佐すると共に、とかく反目しがちな北の政所と淀の御方の間を、波風立たぬよう心をくばってきた。
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ナンセルは、またひどい目に逢ったものだ!モオヴァル氏は自分の竹馬の友の、結婚生活の不幸を想像して可笑しい事に思うのだった。この結果、アンドレの試験は危なかった。
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これらの店で、昔の友人知人の死をきいたり、また逆に発展を喜んだりする。もう十数年前になるが、善さんが嫁を貰ったという話をきいたのも、彼の竹馬の友の魚屋の主人からだった。
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「さっきの鍾馗、なかなかのものですね」 なにをいい出すのかと、東吾は竹馬の友の顔を眺めた。「長助の孫に買ってやって下さったのは感謝しますが、ついでのことに、もう一本、買って下さる気はなかったのですかね」 「源太郎か」 「なにしろ、手前は御用繁多で、なかなか十軒店までは足が及びません」 東吾は笑い出した。
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あんたんとこのお父さんとは、竹馬の友だし、御先代には、一方ならぬ御指導をいただいた。お帰りになったら、よろしくお伝えねがおう。
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すなわちアレキシス・ドーブレクと、ビクトリアン・メルジイと、ルイ・プラスビイユと申上げれば此度事件の裏面はほぼ御解りでしょうと存じます。この三人はもとから竹馬の友で、学校も同じければ、軍隊も同じ連隊でした。その時、プラスビイユはニイスのオペラの女優を愛しておりましたが、メルジイとドーブレクとは私に思をかけていました。
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深田、鶴岡の二人が、熱望した勝負の晴の舞台を与えられながら、その直前に刃を交えて、相互に傷つけ合ねばならなかったのは、そもそも、どうしたわけであったか。由来この二人は竹馬の友である。しかるに、今二人の間にみるものは、無限の憎悪と憤激が、三尺の剣に凝結して、烈火と燃えているのみではないか。
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