空襲で全焼

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  • この駅舎は太平洋戦争・大阪への空襲で全焼したが、戦後修復され京阪本線地下化まで使用された。
  • 全焼を免れた第二航空隊の諸施設は、鹿児島大空襲で全焼した第七高校が一時疎開して活用した。
  • 日本棋院の建物も空襲で全焼しており、棋士・岩本薫の自宅に一時事務所を移転した。
  • 第二次世界大戦で戦況が激しくなると興行も中止され、建物は1945年の東京大空襲で全焼、大屋根も焼け落ちた。
  • 第二次世界大戦末期の1945年4月15日、川崎大空襲で全焼、映画街がすべて崩壊する。
  • 出版不許可になったわけではなく、げんにその後出版の許可が下り、刊行の準備をすすめていたのだが、発行間際の十九年十二月上旬に神田の印刷工場が空襲で全焼し、そのため刊行が不可能になったのである。 野原一夫『太宰治 生涯と文学』より引用
  • 三田大講堂は東京大空襲で全焼し、現在は西校舎が建っている。
  • 前章で述べたごとく、太宰は十八年十月末に「雲雀の声」二百枚を脱稿したのだが、検閲不許可のおそれがあるため出版を見合わせ、その後出版の許可がおりたのだが印刷所が空襲で全焼したため刊行が不可能になった。 野原一夫『太宰治 生涯と文学』より引用
  • 中央軍道方面での戦闘の間に、17日朝には上敷香の住民避難が終わり、その市街地は放火とソ連軍機20機の空襲で全焼している。
  • 建物は1945年7月の大分空襲で全焼した。
  • もちろん、知久平の麹町四番町にあった借家も、五月二十九日の空襲で全焼したが、彼はすでに三鷹に転居していたので、住居や食料に困るようなことはなかった。 豊田穣『飛行機王・中島知久平』より引用
  • 境内の桜は大阪大空襲で全焼したが、戦後、若木が植えられ、桜の名所として復活した。
  • かつて番町五丁目にあった本院の敷地は、1945年7月4日の高松空襲で全焼した香川県立高松商業学校跡であり、2014年2月21日まで使用された。
  • 前身の岡山県女子師範学校から引き継いだ岡山市西中山下の校地を使用したが、1945年6月の空襲で全焼し、赤磐郡佐伯村青年学校へ疎開した。
  • 会堂は1945年の前橋空襲で全焼したが、1951年星野経蔵らの努力により会堂が再建された。
  • ほどなくして善隣協会の経営となり、1940年に回教圏研究所と改称、1945年5月の空襲で全焼するまで活動を続けた。
  • 今里車庫以外の各車庫は、港車庫が戦前の築港車庫が空襲で全焼して廃止になったものの復活、鶴町車庫は地盤沈下のため一時閉鎖されたものの移転復活、というように変遷があるものの、いずれも戦前・戦中から858形が配属されており、本形式と縁の深い車庫であるといえる。
  • しかしながら緑岡幼稚園は1945年5月、アメリカ軍による東京大空襲で全焼し、休園状態となった。
  • 照屋家は空襲で全焼、漁船を借り切って鹿児島県、熊本県、その後福岡県の博多に疎開した。
  • このキャンパスにある恩賜記念講堂・歴史資料館は、2000年に拓殖大学100周年記念事業の一環で、1945年東京大空襲で全焼した恩賜記念講堂を復元した建物である。
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