登米県
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名詞
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政府は明治4年4月に、九州の小倉に西海道鎮台、石巻に東山道鎮台を設置することを決めたが、廃藩置県を経た同年8月になると、東京、大阪、熊本、仙台にそれぞれ鎮台を置くことと改めた。「旧高旧領取調帳」の記述が登米県への編入後のため詳細は不明。
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政府は国内の債務の大部分と対外債務の一部を破棄し、一部をかつて仙台藩の蔵元を務めた豪商升屋に払わせることとし、残りを政府が公債として引き受けた。これによって、仙台藩は、仙台県・角田県・登米県・胆沢県に分かれた。最終的に、旧仙台藩の北部は岩手県に組み込まれ、現在の新地町は福島県に編入され、その他のほとんどの部分が宮城県へとなっていく。
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仙台藩として存続した地域は廃藩置県で仙台県となった。仙台県は角田県および登米県の一部を編入ののち宮城県に改称し、現在に至る。また、旧盛岡藩領と統合された胆沢県と江刺県は、一関県への編入を経て、現在は岩手県となっている。
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その際に仙台藩 から没収された所領のうち、登米郡・遠田郡および志田郡のうち43か村が常陸土浦藩取締地となり、涌谷県と称した。そのわずか4ヶ月後、正式に登米県が設置され、県庁を登米郡寺池村に置いた。寺池では新庁舎の建設が開始されたが、この新庁舎が登米県庁として使用されることはなく、後に水沢県庁として使用された。
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そのわずか4ヶ月後、正式に登米県が設置され、県庁を登米郡寺池村に置いた。寺池では新庁舎の建設が開始されたが、この新庁舎が登米県庁として使用されることはなく、後に水沢県庁として使用された。その後、明治4年11月2日の第1次府県統合により仙台藩の後身である仙台県に編入されて廃止され、一部の地域は一関県に移管された。
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明治2年7月に、これら3郡は明治政府直轄の桃生県となり、一箇月後には石巻県と名を変えた。明治3年9月に石巻県は涌谷に県庁を置く登米県に併合され、石巻には県庁の出張所が置かれた。明治4年4月に政府は小倉の西海道鎮台と共に、石巻に東山道鎮台を設置することを決めたが、同年8月に、鎮台は東京、大阪、熊本、仙台に置くことと改められた。
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明治3年9月登米県大参事・通商権頭に就任。明治4年11月2日登米県が廃止され仙台県参事心得に就任。明治5年1月8日宮城県の初代参事となり、1873年2月7日に辞任。
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こうして仙台藩は北海道の開拓史に大きな功績を残した。明治4年の廃藩置県において、仙台藩は仙台県、角田県、登米県、胆沢県の4県に分割され、現在の仙台都市圏と似た範囲で仙台県が置かれた。その後何度か境界変更を繰り返し、現在の規模になった明治5年に宮城県と改称して、同時に仙台区が置かれた。
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なお、仙台県は翌明治5年に宮城県と改称され現在に至る。また、登米県大参事の塩谷良翰は仙台県参事、宮城県参事を引き続き務めている。
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明治2年11月甲州の大小切騒動の鎮定に当った。明治3年9月登米県大参事・通商権頭に就任。明治4年11月2日登米県が廃止され仙台県参事心得に就任。
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成島柳北に招かれて詩会に列したり、「半間社」と名づける書画の会を起したりしている。然し明治改元早々にして、四十四歳の毅堂は新政府に仕えて太政官権弁事となり、二年には陸前登米県の知事となり、二年後司法省に転じ、十年には大審院判事となった。明治十五年、五十八歳を以て歿したが、そのときは司法権大書記で、死に臨んで従五位に叙せられている。
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thumb|300px|旧登米県庁舎 登米県は、明治2年8月に明治政府によって陸前国北東部に設置された県。管轄区域は現在の宮城県北東部に相当する。
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のち石巻県、登米県、一関県と帰属が変転し、1871年12月13日水沢県の一部となった。
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中世には大崎氏や葛西氏、留守氏、国分氏などが割拠したが、伊達政宗が米沢城から岩出山城を経て仙台城を築き、江戸時代の間は伊達氏の仙台藩がここを治めた。明治時代の廃藩置県に前後して、登米県、石巻県、胆沢県、角田県、仙台県などが成立し、県域の分合がたびたび行われた。
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その後、達三郎、道治、ヨシ、順也が生まれた。明治維新後は、高崎藩所轄の陸前牡鹿、桃生、本吉の権判事と、石巻県少参事、登米県少参事、高崎県少参事を歴任する。明治4年、廃藩置県により、高崎県は他の9県と共に群馬県になる。
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