由来記

100 の用例 (0.00 秒)
  • この『琉球国由来記』の創建伝承が現在の社伝となっており、『沖縄の神社』においても成化年間の創建説を紹介している。
  • 「諸事由来記序」の最後には、本書編纂に係わった人物として以下の名前が記載されている。
  • この絵巻物の中でも、おしまいの漢文の由来記が書いてある処までは、度々人間の手によって拡げられたり、捲かれたりしたものに違いない事がわかり切っている。 夢野久作『ドグラ・マグラ』より引用
  • 江戸時代には名がよく知られており、その由来を解く『備前加茂日本一狸由来記』という書物も書かれている。
  • また『宮古由来記』では千徳氏が閉伊郡黒田村を領有したのを天文21年からだとしている。
  • 即、由来記・家譜等に残る誇るべき地方伝説に、人情味を加へた物が、出来た訣である。 折口信夫『組踊り以前』より引用
  • 現在の正覚寺前に由来記板があり、そこに『天長年間弘法大師開基昭和十二年に太田上人が三晩日昭上人の夢を見て報恩のために再建を決意、昭和三十七年に完成した』と記されている。
  • この絵巻物の中でも、おしまいの漢文の由来記が書いてあるところまでは、たびたび人間の手によって拡げられたり、巻かれたりしたものに違いないことがわかりきっている。 夢野久作『ドグラ・マグラ』より引用
  • 翌年1667年に本部間切に名称を変更、『琉球国由来記』にも本部間切瀬底村と記述されている。
  • その結果が『宮古島御嶽由来記』として残っているが、ここに載っている二十五箇所はいわば官製の公称にすぎない。 松平維秋『松平維秋の仕事』より引用
  • そのことは、高木好次氏の『若狭彦神社由来記』にもはっきりこうしるされている。 金達寿『日本の中の朝鮮文化 05』より引用
  • 「琉球国由来記」には移入の目的は記されていないが、1875年に慶良間を視察した河原田成美の記録から、王府時代に慶良間から藩王にケラマジカを献上していたことが知られる。
  • 国王の親族については、『琉球国由来記』では「按司部」とある。
  • 忠霊塔の文字は寒巌義尹の「大渡橋由来記」からとった。
  • 第一の理由に『琉球国由来記』に記された浦添ようどれの建造年代と、発掘された瓦に刻まれた年代に一致するという点、第二に建造の際に多数の人員と技巧職人を指揮し、地方を束ねた按司と比較にならない大規模の墓を造営したという点を挙げている。
  • 秋里籬島による名所の由来記、竹原春朝斎による俯瞰図を多用した挿絵が特徴である。
  • 江戸時代後期の国学者・平田篤胤は「御笠殿社由来記」で、腫物などの病に霊験あると記している。
  • 大滝神社由来記には武渟川別が訪問した際、清水の湧出を、農業の本、国民の生命、肇国の基礎と称賛し祭祀したと記されている。
  • この心理遺伝のそもそもというものは、呉青秀の忠君愛国から初まって、その自殺に終る事になっているが、それはその由来記の表面だけの事実で、その事実の裡面に今一歩深く首を突込んでみると豈計あにはからんや。 夢野久作『ドグラ・マグラ』より引用
  • しかし、『御嶽由来記』は宮古島の神話や伝説を記述した本であり、明国・福州にルソンより甘藷が伝来したのは、旨屋が福建省に漂着したのと同じ1594年のことであるから、その真実性を疑問視されている。
  • 次へ »

由来記 の使われ方