琉球国由来記

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  • 琉球国由来記は琉球王国の王府が編纂させた地誌である。
  • ケラマジカについて言及している最も古い文献は、首里王府編の『琉球国由来記 巻四』である。
  • 琉球国由来記によると島とうがらしは18世紀前期までに、薩摩を経由し沖縄に伝来したと書かれている。
  • この『琉球国由来記』の創建伝承が現在の社伝となっており、『沖縄の神社』においても成化年間の創建説を紹介している。
  • 翌年1667年に本部間切に名称を変更、『琉球国由来記』にも本部間切瀬底村と記述されている。
  • 「琉球国由来記」には移入の目的は記されていないが、1875年に慶良間を視察した河原田成美の記録から、王府時代に慶良間から藩王にケラマジカを献上していたことが知られる。
  • 国王の親族については、『琉球国由来記』では「按司部」とある。
  • 第一の理由に『琉球国由来記』に記された浦添ようどれの建造年代と、発掘された瓦に刻まれた年代に一致するという点、第二に建造の際に多数の人員と技巧職人を指揮し、地方を束ねた按司と比較にならない大規模の墓を造営したという点を挙げている。
  • 瀬長島に瀬長グスクが形成され、『琉球国由来記』には瀬長按司の居住跡と記されている。
  • 発掘調査から、浦添ようどれは最初13世紀に造営されたと考えられ、『琉球国由来記』にある咸淳年間に造営されたという記述と矛盾しないことが裏付けられた。
  • 本書は以下の構成となっているが、「『琉球国由来記』 解説」では、本書を巻1から巻11までの前編と各處祭祀が記された巻12から巻21までの後編に分けられるとしている。
  • このため、後の時代の書物と本書の記事を比較することで琉球における風俗の変遷を知ることができる貴重な史料となっているとし、その例として『琉球国由来記 巻2』の「石奉行」の条と本書巻第5の「公廨の袖結の事、又、鉢巻の事」の条にある「袖結」を挙げ、更にこの他にも興味深い記事は多いと述べている。
  • また平安座島の最高所に位置する「平安座西グスク」の築城年は不明だが、勝連城の浜川按司の次男の居城と伝承され、『琉球国由来記』には「森城」と記されている。
  • 康熙52年に成立した『琉球国由来記 巻11 密門諸寺縁起』の〔八幡大菩薩〕の段にある「勧請由来」では、当社の開基を天順年間であるとし、その創始について次のような伝承を記している。
  • 親方を、王子、按司と含めて貴族とするか、それとも上位士族とするかであるが、『琉球国由来記』の「官爵列品」の項目に、「この官爵、下種の極官なり」との説明があるので、士族の最上位とするのが妥当である。
  • 康熙52年に成立した『琉球国由来記 巻11 密門諸寺縁起』の〔天久山聖現寺〕の段にある「天久山大権現縁起」では、当社の開基を成化年間であるとし、その創始について次のような伝承を記している。
  • それによれば、初めに「城中御嶽併首里中御嶽年中祭祀」を編し、これを粉本として各處祭祀を纂した後、これらを中心として「王城之公事」以下の諸事由来記を加え『琉球国由来記』と名付けたのではないかと推測している。
  • この『琉球国由来記』の創建伝承の最後には「神道記に見ゆ」と記されているが、慶安元年に初版が開板された『琉球神道記 巻第5』の「八幡大菩薩事」では、これが第5代琉球国王尚泰久王御代の出来事であるとしている。
  • 禅鑑の国籍について、鳥越憲三郎は『琉球国由来記』の記述に従い国籍不詳としており、また多田孝正は南宋の僧侶である禅鑑体淳に琉球への仏教伝来を仮託した可能性を指摘している。
  • 伊波普猷の著した「『琉球国由来記』 解説」によれば、「諸事由来記序」に記された「我が王」とは第13代琉球国王の尚敬王である。
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