猪去城
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名詞
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しかし高水寺斯波氏当主が詮真からその子・詮直に替わると確執して、天正14年に吉兵衛は南部氏26代・南部信直の下へ出奔する。それに対し詮真は南部領へ攻め入るも南部軍の反撃にあい逆に侵攻されてしまい、高水寺斯波一族の雫石久詮と猪去義方は攻められて本家の高水寺城に逃れ、雫石城ならび猪去城は滅ぼされた。結果、稗貫氏立ち会いの下で両家は和睦し、斯波氏は岩手郡見前、津志田、中野、飯岡の地を失ってしまう。
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南部氏が天文9年に岩手郡に侵攻して滴石の戸沢氏を攻略し角館へ退去させると、これに対し斯波詮高は天文14年、南部氏から太田、滴石地方を奪い取るなど積極的な拡大を見せている。詮高は嫡男経詮に家督を継がせ、次男詮貞を滴石から改称した雫石城に置き、三男詮義を猪去城に置いて、南部氏の反攻に備えた。斯波氏の格式の高さから近隣では本家は「斯波御所」、または居館の地名で「高水寺御所」、新領に配置された庶子は同じく地名から「滴石御所」、「猪去御所」と呼ばれた。
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