灰燼
全て
名詞
649 の例文
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このあたりは、東京に近い便利な疎開地として見られていたが、そして今のところは東京のように爆撃を蒙らず安泰であるが、近い将来には戦禍から免れられないという専らの噂だ。敵がもし由比ヶ浜から上って来たら、このあたりは灰燼に帰してしまう。その由比ヶ浜上陸説は、相模湾の狭さを考えると、疑心暗鬼の類いと私は思うが、しかし東海道の沿岸から上るとすると、敵の目指すところは東京だから、このあたりはどうしても敵の進攻の道筋に当る。
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第二次世界大戦では徹底した爆撃にあい市内中心部はほぼ灰燼に帰した。ソ連占領地域にあったため、戦後はドイツ民主共和国領となり、ドレスデン県の県都としてライプツィヒなどと並ぶ工業都市として発展した。
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妻の一周忌も近づいてゐたが、どうかすると、まだ私はあの棲み慣れた千葉の借家で、彼女と一緒に雨に鎖ぢこめられて暮してゐるやうな気持がするのである。灰燼に帰した広島の家のありさまは、私には殆ど想ひ出すことがなかつた。が、夜明の夢ではよく崩壊直後の家屋が現れた。
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わたしたちは、いつか、この二つの重い枷を、脱ぎ捨てなくてはならない。たとえ、そのために、もう一度、すべてが灰燼に帰することがあっても。けっして信じたくはないが、新しい秩序とは、夥しい流血によって塗り固めなければ、誕生しないものなのかもしれない。
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妻の一周忌も近づいていたが、どうかすると、まだ私はあの棲み慣れた千葉の借家で、彼女と一緒に雨に鎖じこめられて暮しているような気持がするのである。灰燼に帰した広島の家のありさまは、私には殆ど想い出すことがなかった。が、夜明の夢ではよく崩壊直後の家屋が現れた。
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そこが発火すると続いて起こった爆発のために周辺の建物に燃え移った。この火事はまもなく抑えきれなくなり、143棟の建物が灰燼に帰した。風向きが変わって港にいた数隻の船舶も上流に逃げられなかった。
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この攻撃により26軒から火災が発生し、街のほぼ全域が灰燼に帰した。right|160px|thumb|バイルマンシェス・ハウス ライネのマルクト広場に面したバイルマンシェ・ハウスは現在も市の破壊の証拠を示している。
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太平洋戦争末期の昭和20年、戦火が迫ったことから宮司がご神体を奉じて摩文仁村へ避難した。しかし境内は激しい沖縄戦の中で鳥居を残し全てが灰燼に帰してしまった。沖縄戦で壊滅的な損害を被った当宮であったが、昭和23年には別表神社へと指定された。
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いっぽうは退くため、いっぽうはあぶりだすため、滅多矢鱈に火をつけやがった。火焔天にみなぎって京の町すべてを灰燼に葬ろうってな勢いでがしょう。
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時に午後の五時。かくのごとくにしてわが長崎医科大学は戦に敗れ、灰燼に帰したのである。
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ギスは要求を拒絶し、ゼルシモンとその支持者は新たな暴君に支配されることを由としなかった。やがて両者の対立は内戦を勃発し、疲弊していた世界の多くが灰燼に帰した。その内戦の最中、ゼルシモンに何があったのか、ある者はゼルシモンが殺されたとも、他の者は彼がギスとの一騎討ちで勝利したものの助命したとも伝えている。
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芝浦まで焼き尽くし、海岸に出て、やっと消えたのである。江戸の六割が灰燼に帰し、焼失した大名屋敷だけでも百六十軒に及んだ。四百町が消え、六十の橋、三百五十の寺院がことごとく焼けた。
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この反乱の中から台頭した朱元璋は1368年に南京で大明皇帝の位に就き、元朝の大都を攻撃して皇帝トゴン・テムルを内モンゴルの応昌府まで敗走させた。明軍に占領された大都は灰燼に帰し、中国史における元朝はここに滅びた。
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しかるに村は、ことごとく焼き払われておりました。雪の中に灰燼がひろがり、なお鼻を刺す煙さえただよっておりました。わずか数人残って、その焼け跡で嗚咽している百姓をつかまえて訊きますと、その日、越前大野藩の侍たちが来て火をはなったもので、その大野藩は六百人を動員して、前方の笹又峠まで出張している、とのことでござりました。
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浮遊戦艦、潜水艦、地底戦車、さらには機動歩兵など、虚実織り交ぜた空想の兵器たちが登場する。破壊の限りを尽くす彼らだったが、最後に巨大な大爆発が発生し全てが灰燼に帰す。本作では人物が一切登場しない。
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日に日に知力と精力が衰えていく。イジドアと地球に住む何千何万の特殊者が、ひとり残らず灰燼の山に近づいている。生きたキップルと化して。
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浅羽敬一の母親のように。すべてを灰燼に帰して立ち去るのがおまえの身の安全のためだ。
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