満州唱歌

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  • この時点で、『満州唱歌』の制作に携わった者の多くは満州を離れ本土へ戻っていた。
  • 園山は当初編集部から大きな期待をかけられているようには感じなかったと述懐しているが、『満州唱歌集』の発行に携わり、自ら収録曲の作曲も行うなど満州唱歌の誕生に深く関与することになる。
  • こうして作られたのが『満州唱歌集』である。
  • 園山は満州唱歌のほかに満州国の国歌を作曲し、大連音楽学校を創設し校長を務め、さらに大連周辺の女学校や中学校の音楽教師も務めるなど音楽教育にも力を注いだ。
  • 成城大学名誉教授の磯田一雄は、最初期の満州唱歌について、「文部省唱歌よりもずっと西洋音楽に近い感覚をもっていた」と評価し、本土よりも水準の高い満州の音楽教育の象徴の一つであったとしている。
  • 前述のように初めて発行された『満州唱歌集』には著名作家による歌が多く収録されたが、その多くは必ずしも満州の風土・風物が反映されたものではなく、編集部内部からも「満州の景物に接しない内地の名家が、果たして真に満州の子どもに適した郷土材料を作成することができるか」という批判が上がった。
  • 戦後、『ペチカ』や『待ちぼうけ』など一部の作品を除き、満州唱歌が日本の教科書に掲載されることはなかった。