浅草奥山

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  • 三人は今まで、浅草奥山の中を歩いて来たのだ。 山田風太郎『警視庁草紙(上)』より引用
  • 一方、のれんや看板絵などの大きな作品も得意とし、特に江戸浅草奥山の生き人形の看板絵は良く知られている。
  • 浅草奥山に近づくと「を組」の若い衆が、留次郎を見て頭を下げた。 二宮隆雄『海援隊烈風録』より引用
  • 浅草奥山の見世物小屋から、葉之助は邸へ帰って来た。 国枝史郎『八ヶ嶽の魔神』より引用
  • そこは浅草奥山の、怪しげな茶屋の奥座敷で、ふたりとももうかなり酒がまわっている。 横溝正史『人形佐七捕物帳 03』より引用
  • 浅草奥山の見世物でもひやかしてみようかと思ったが、それもなんとなく心が進まない。 坂口安吾『明治開化 安吾捕物』より引用
  • 浅草奥山のにぎわいは今も昔も変りがなく、見世物小屋からは景気のよい囃子の音が聞こえてきた。 国枝史郎『大捕物仙人壺』より引用
  • まさかお前が江戸も江戸、浅草奥山でも人気のある、葉村はむら一座の仕打しうちとして、こんな所にいようとはな。 国枝史郎『大捕物仙人壺』より引用
  • 彼はいちど、夢遊病者のように、浅草奥山の西洋手品師松旭斎天一を楽屋に訪ねた。 山田風太郎『幻燈辻馬車(上)』より引用
  • 源三郎が吉田どのといったのは、定廻じようまわり同心の吉田又蔵のことで、三日ほど前、浅草奥山の近くで雑踏の中で男にいきなり腹を刺された。 平岩弓枝『御宿かわせみ 23 源太郎の初恋』より引用
  • それから、モデルはその頃浅草奥山に猿茶屋があって猿を飼っていたので、その猿を借りて来ました。 高村光雲『幕末維新懐古談』より引用
  • 袈裟右衛門は、浅草奥山をうろついていた浮浪の孤児であった。 柴田錬三郎『岡っ引どぶ 巻一』より引用
  • 罪は浅草三番組鳶頭とびがしらの音蔵ごろし、下手人はいま呼びたてた同じ浅草奥山の小屋芸人やまがら使いのお駒でした。 佐々木味津三『右門捕物帖』より引用
  • 東京へは明治初年に浅草奥山に楊弓場が現れ、一般には「矢場」と呼ばれ広まった。
  • 浅草奥山が官命によって取払われたのは明治十七年、その代地として当時田ンボの六区が与えられたが、区劃整理して縦横に道を通じて後、ようやく五六軒の名もないような小屋と、十軒あまりの飲食店などができたばかり、当時は新開地とよんでいたが、今の六区には比すべくもない田ンボの中の小さな遊園地である。 坂口安吾『明治開化 安吾捕物』より引用
  • 直心影流榊原鍵吉の撃剣会興行に刺激され、自らも、浅草奥山で柔術興行を打った。 夢枕獏『東天の獅子 第二巻 天の巻・嘉納流柔術』より引用
  • 次郎長と鉄舟のものは天田五郎が写したものとされ、万次郎のものは、浅草奥山の写真家江崎礼二によって撮影されたものである。
  • 昔も今も変わらないのはこの浅草奥山の人出、いましも年のころ二十二三の容貌の美しい女、鎖鎌くさりがまを一手使って、疲れたのか、脇のほうへ下がってしゃがんで休んでおりますと、その者の弟と見え、二十才前後の若者が刀を抜いて蟇の膏の効能を述べ立てる。 今村信雄編『古典落語(上)』より引用
  • どこの浪人だかしらないが、ずいぶん昔から、浅草奥山によしず張りの小屋をかまえて、張り扇をたたいて、なかなか人気のある講釈師である。 横溝正史『人形佐七捕物帳 07』より引用
  • 彼らは浅草奥山の、見世物小屋の太夫達であった。 国枝史郎『八ヶ嶽の魔神』より引用
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