治部大輔

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  • 翌年山城守に任じ、治部大輔等を経て、正四位下・左大弁に至った。
  • 先鋒隊せんぽうたいは五月十日をもって府中を出発、治部大輔は十二日出発するであろう。 海音寺潮五郎『新太閤記(一)』より引用
  • 天安2年正五位下・治部大輔に叙任され、直後に大和守に転じる。
  • そうなれば、治部大輔じぶのたいふ殿はきっと京に上って自ら将軍になろうという気をおこすじゃろう。 海音寺潮五郎『新太閤記(一)』より引用
  • 治部大輔じぶのたいふといっても、治部省という役所はもう存在していない。 海音寺潮五郎『新太閤記(二)』より引用
  • 貞観10年治部大輔と京官に任ぜられるが、翌貞観11年摂津守として再び地方官に転じた。
  • 延暦9年治部大輔として京官に復帰すると、延暦10年右少弁に転じている。
  • この家純の流れを家純の官職治部大輔の唐名から礼部家と呼ぶ。
  • その治部大輔義元には、こんどの軍旅ぐんりよは、少なからぬ苦痛であったに違いない。 吉川英治『新書太閤記(二)』より引用
  • 平城朝では治部大輔・民部大輔を歴任し、大同3年には正五位下に叙せられる。
  • 治部大輔じぶのたゆう義元の存在も、その中のただ一箇でしかなかった。 吉川英治『新書太閤記(二)』より引用
  • 内舎人・尾張守・治部大輔・左兵衛佐・右近衛少将・但馬守・内蔵頭などを歴任した。
  • 承和13年無位から従四位下に直叙され、治部大輔に任ぜられる。
  • 平城朝では、美作守・大学頭・治部大輔を歴任し、大同3年正五位下に叙せられた。
  • 基光と改名するが、父有光の隠居によって第3代当主となり従四位下治部大輔に任ぜられたことで元光の名に復した。
  • 翌弘治四年は、二月二十八日で永禄元年になるのであるが、その二月二十六日に、義竜は、朝廷に奏請しておいた任官が許されて、治部大輔に任ぜられた。 桑田忠親『斎藤道三』より引用
  • 父・高経の偏愛を受け、正平15年には11歳で元服し、従五位下治部大輔に叙された。
  • 治部大輔じぶのたいふが京に出て、足利将軍家をたすけてか、自ら将軍となってか、天下に号令しようとの野心をいだいていることは、世間の人の皆知っていることでございます。 海音寺潮五郎『新太閤記(一)』より引用
  • 聖武朝では、右京亮・治部大輔・文章博士を歴任し、この間の天平15年正五位下に叙せられている。
  • その晩、園阿えんあと治部大輔と三人して、百韻ひやくいん連歌れんがを試みたが、その席で、光秀がきょう舟中の作というのを、そっと園阿に示した。 吉川英治『新書太閤記(三)』より引用
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治部大輔 の使われ方