河本大作

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  • 河本大作処分は軍内部の問題であり、それを政府が要求するのは言語道断だ。 保阪正康『東條英機と天皇の時代(上) 軍内抗争から開戦前夜まで』より引用
  • 事件を首謀した河本大作大佐は、予備役に回される軽い処分とされた。
  • 事件の首謀者が関東軍参謀河本大作大佐であり、実行者の名も判明していた。 半藤一利『聖断 天皇と鈴木貫太郎』より引用
  • 陸軍を去った河本大作には、こののち、暗躍の舞台が与えられることになった。 五味川純平『虚構の大義 ─関東軍私記─』より引用
  • この事件は、戦後、陸軍の河本大作大佐らが仕組んだことが事実であったとして発表された。 豊田穣『松岡洋右――悲劇の外交官――(上)』より引用
  • 陸軍省首脳部は、河本大作を行政処分に付したが、むしろ彼は英雄的な存在となった。 保阪正康『東條英機と天皇の時代(上) 軍内抗争から開戦前夜まで』より引用
  • 張作霖事件はその一環で、関東軍高級参謀の河本大作大佐を中心に謀られた。
  • 河本大作大佐は初め村岡司令官の発意に反対したが、のちに独自全責任をもって決行したという。
  • 松木は致し方なく、たまたま日本に帰るという河本大作大佐に、その件を依頼した。 豊田穣『松岡洋右――悲劇の外交官――(上)』より引用
  • この張作霖爆殺事件は当初から関東軍の参謀・河本大作大佐の策略であるとの説が有力であり、第二次世界大戦終結後に明らかにされたいくつもの証拠により現在では通説となっているが他説も多い。
  • 田中義一首相ら日本政府は張作霖への支持の方針を継続していたが、高級参謀河本大作ら現場の関東軍は日本の権益の阻害になると判断し、独自の判断で張作霖を殺害したとされる。
  • 花谷のいうこの方針に沿って、河本大作が国内工作を受け持った。 勝田龍夫『重臣たちの昭和史 上』より引用
  • 総務部長になった甘粕の初仕事は、昭和三年に河本大作によって爆殺された張作霖の葬儀であった。 角田房子『甘粕大尉 ―増補改訂』より引用
  • 河本大作を満洲に送り込んだのは一夕会の画策であったと土橋勇逸は証言している。
  • 翌三年六月、張作霖は関東軍高級参謀の河本大作とその部下たちに、列車ごと爆殺されてしまう。 小堺昭三『男の切れ味(中)』より引用
  • 板垣は、張作霖爆殺事件のため退役処分となった高級参謀・河本大作の後任となったばかりであった。 角田房子『甘粕大尉 ―増補改訂』より引用
  • 関東軍は当初この事件を中国国民政府軍の仕業だと公表したが、実際は関東軍参謀河本大作の仕業であった。
  • 関東軍参謀河本大作とその一派が行なった謀略行動であった。 保阪正康『東條英機と天皇の時代(上) 軍内抗争から開戦前夜まで』より引用
  • また河本がやったと主張したのは「そういう洗脳工作によって河本大作は本当に「自分でやった」と信じていたのかも知れません」とソ連工作員に洗脳されたと主張している。
  • ここにでてくる河本大作大佐が、満洲軍閥の頭領・張作霖を爆殺したのは、実に昭和三年六月のことなのである。 半藤一利『指揮官と参謀 コンビの研究』より引用
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河本大作 の使われ方