民部大輔

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  • 民部大輔・笠江人の子とし、子に数道がいたとする系図がある。
  • 桓武天皇が即位した天応元年には従四位下・民部大輔に叙任される。
  • 民部大輔は、日本一の力もちだから、きつと、持つてきたに相違ない。 沖野岩三郎『岩を小くする』より引用
  • 天安3年民部少輔、貞観3年民部大輔、貞観5年に正五位下に叙任された。
  • 父は民部大輔平経方とも紀伊守重経ともいわれている。 久保田正文『百人一首の世界』より引用
  • 文明18年には房定の官途である民部大輔を譲り受け、翌年には家督を譲られた。
  • 一方で永禄6年7月2日には朝廷より民部大輔に任じられており。
  • また同時期の他史料にも「小笠原民部大輔」という人物が徳川氏に仕えていたという記録がある。
  • のち、中務大輔・民部大輔を経て、弘仁14年蔵人頭・左中弁に任ぜられる。
  • のち、備前権守・左馬頭・民部大輔・加賀守等内外の諸官を歴任した。
  • 従四位上・民部大輔に叙任された後、貞観年間中期に山城守に任ぜられ地方官に転じる。
  • 承和4年従五位上から正五位下に昇叙され、承和6年従四位下・民部大輔に至る。
  • 一橋家より幕府最後の第十五代将軍の座に、慶喜よしのぶがついたおかげでその実弟の昭武も民部大輔みんぶだいゆうの要職に就任できた。 小堺昭三『明治の怪物経営者たち(1)』より引用
  • 美作守・春宮権大進・五位蔵人を歴任し、寛元4年に民部大輔に任ぜられる。
  • 行ってみると、こんど徳川民部大輔昭武とくがわみんぶたいふあきたけがフランスヘ行くことになったので、これに随行せよというわけだ。 大宅壮一『炎は流れる2 明治と昭和の谷間』より引用
  • その後、清和朝にて散位を経て民部大輔を務めた後、貞観7年正月に安芸守に任ぜられる。
  • 平城朝では治部大輔・民部大輔を歴任し、大同3年には正五位下に叙せられる。
  • 兄弟に四位左少将明理・民部大輔方理らがいる。
  • 仁明朝では備中守・民部大輔・備前守・大和守・大和国班田使次官・大宰大弐と主に地方官を務める。
  • 民部大輔で筑後十五城の筆頭大名でもある。
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