殿上人
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名詞
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廻廊の席と白洲との間に昔はかなり明白な階級の区別がたったものであろうと思われた。自分の案内されたのはおそらく昔なら殿上人の席かもしれない。そう云えばいちばん前列の椅子はことごとく西洋人が占めていて、その中の一人の婦人の大きな帽子が、私の席から見ると舞台の三分の一くらいは蔽うのであった。
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もう1つは天皇や太上天皇が特定の人物のみが知る秘伝の曲の伝授を希望した場合や自身の御師が属する流派以外の曲の伝授を希望した場合に宣旨や院宣によって一時的に御師の待遇を受ける者、言うなれば「正式な御師」に対する「特別な御師」と称すべき人である。こちらは殿上人ではなく地下人の楽人であっても任じられる可能性があった。鎌倉時代後期の後嵯峨天皇の頃からこうした特別な御師が増加することになる。
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式場は東の院の、東の対にしつらえられた。上達部や殿上人は、この式を珍しがってわれもわれもと集まってきた。博士たちも、かえって気おくれしそうなほどである。
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官位相当は無い。五位から昇殿が許され殿上人となるため、武士の出世の目安となっていた。寛平7年、左右衛門府内に左右の検非違使庁を置くようになったが、天暦元年に効率化、迅速化のために統合されて左庁だけに検非違使庁が置かれるようになった。
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それに対して諸大夫は、寝殿の西弘庇も西北渡殿も北西渡殿も空いているのに、ずっと離れた西中門廊である。貴族社会では位階が同じでも殿上人とそうで無い者は扱いが違う。内裏は勿論、摂関家の邸宅においても限られた者しか上がれない内郭の床の上でも身分によってどこまで入れるかが決まる。
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また、官位の世襲化が進み、家格が形成されるにつれ、昇殿が認められるかどうか、どの段階で認められるか等は、おおむね出自によって決まるようになっていった。後には、殿上人となり得る家を堂上家、ならない家を地下家と呼んだ。また、承徳2年には源義家の院昇殿が、天承2年には平忠盛の内昇殿が認められ、武士の時代の到来を告げる画期となった。
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八省院の前に立てつづけたお供の女房たちの車から、のぞいている衣裳の、袖口の色合いなども、御息所にお仕えする人々らしく、趣味がよくて平凡ではなく、人目を引いた。殿上人なども、女房たちと個人個人で別れを惜しむ者が多かった。暗くなってから行列は出立した。
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女房の詰所である台盤所に、帝の玉座を設け、北と南に分れて、女房たちは座につく。殿上人は後涼殿の簀子に、それぞれ味方する方へ心を寄せつつ座についている。左は絵を紫檀の箱に入れている。
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從順と謙遜と虚僞とのみにかれは倦んでゐた。かれはそのあくる日大内裏のあるところである若い殿上人にこんなことを言つた。
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そういう人間が多いだけに、いったんこっちの羽振りがよくなれば、昨日のかたきは又すぐ今日の味方に早変わりをするのである。正直のところ、現在の殿上人に骨のある人間は極めて少ない。信西入道とても日和見の横着者である。
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「おぬしの一族で惟扶という人がいるべし」 惟扶は坂東平氏ではない。高望王がまだ京にいる頃にある殿上人の家に奉公している女房に生ませた子がある。その子は父と共に坂東に下らず、京で官途について、民部大丞までなったが、惟扶はその子であった。
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現場は黒山の人だかりだ。若公卿や殿上人を鈴なりに乗せた牛車がほかにもたくさん来ている。四個の、獰猛そうな男どもの死体を、まっ昼間の日ざしの下で目にして、則光は信じられない気がしたが、さらに驚いたのは人垣の中央に、昨日、日ノ岡の清水のほとりで逢った旅の侍が傲然と立ちはだかっていたことだった。
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この男はこの男なりに、今は殿上人となった友人の気性が変わらずにあることを喜んでいるらしい。上機嫌で酒を傾け、男にも勧めた。
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貴夫人 女のためには目前の事になんの不思議もないのですね。殿上人 様子の好い風をして男の所へ帰って行きます。
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軽くあしらっていると、それがかねがね清少納言の讚嘆をあつめていて地位も名声も高い美男の殿上人であったので清少納言は少からずうろたえる。その殿上人は、女の人は寝起きの顔がことの外美しいと聞いていたから見に来たのですよ。帝がいらしたうちからここにいました、といったことなどが作者の当時の官女らしい才気の反応で描かれている。
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それゆえ、中将少将たちも互いに競いあって射た。弓技に自信のある殿上人たちを左右にわけて、競射させるのである。暮れゆくままに、風にさそわれる花吹雪を浴びて青年たちは、若々しい挑み心に矢を放つ。
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女がヒステリカルに振舞つた美しいその態度は、その時になつても一種の深い男性的愛着を兼家に感じさせずには置かないのであつた。また數日經つた後にはその同じ若い殿上人に兼家が話した。
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