橋本鐵彦

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  • 昭和三十四年の初め、高山が橋本鐵彦の部屋へ入ってきた。 ...
  • 昭和八年のある日、事務所で芸人の出番表を調べている正之助に、文芸・宣伝部長の橋本鐵彦が相談を持ちかけた。 ...
  • その後、1973年に正之助は社長から会長に退き、後任に橋本鐵彦が就任した。 ...
  • 橋本鐵彦も正之助にひけをとらないぐらい、向こう意気が強い。 ...
  • その下には橋本鐵彦がおり、八田竹男がおり、中邨秀雄がいる。 ...
  • 同年には「漫才」の名付け親として知られ、のちに同社の社長にもなった橋本鐵彦、1934年には漫才作者として名高い秋田實が入社した。 ...
  • しかし戦前、吉本の幹部社員として漫才重視政策を推進し、戦後は吉本の社長も務めた橋本鐵彦は、演芸評論家・香川登志緒による聞き書きの中で、客を呼べる落語家が減っていったのが真の原因として、吉本が上方落語を衰退させたという説を全面的に否定している。 ...
  • これらの芸人を直接、差配するのは中邨秀雄であり、その上に八田竹男、もう一つ上に橋本鐵彦、そして最上段で目を光らせているのが林正之助であった。 ...
  • 受付で名前を告げると、専務の橋本鐵彦が現われた。 ...
  • 大阪の吉本には、専務の橋本鐵彦がいる。 ...
  • 戦前から活躍、一時長沖一、吉田留三郎、橋本鐵彦らとともに吉本興業の文藝部に在籍。 ...
  • 翌八年には、文芸、宣伝、映画の三部門を設け、橋本鐵彦がこれらを統括して精力的に働き、「吉本演芸通信」を発行したり、「萬歳」を「漫才」に変えたりしている。 ...
  • 春団治憎しのあまり、ラジオを徹底的に毛嫌いし、アチャコの相方としてエンタツを担ぎ出さず、橋本鐵彦が提案した〝漫才〟を撥ねつけていれば、演芸の世界は間違いなく、別の道をたどる運命にあっただろう。 ...
  • そういう隆盛の真っ只中、昭和四十八年五月、正之助は会長になり、社長の椅子を橋本鐵彦にまかせた。 ...
  • 昭和の初め、橋本鐵彦が「萬歳」からひねり出した「漫才」が、二分の一世紀経って、今度はいよいよ日本語を離れ、「THE MANZAI」に変貌へんぼうしたのである。 ...