権現
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それに伴って本地垂迹に基づいて、祭神は権現としても信仰されるようになった。本殿以外の摂社・末社にも本地垂迹は適用された。
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わしたちは希望を失いますまい。権現様のご利生でもきっと迎えの船が来て、都へかえることができるでしょう。成経 それはあの山から煙の出ない日を待つよりも、はかないことかもしれない。
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この病気を機に、家の近くにあった権現様と呼ばれる村の小さな社にお参りするようになったという。健康の祈願と「もう一人の私」とは誰であろうかという疑問を解くために、毎日朝夕の参拝をし続けたとされる。
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また、七座山の最高峰である権現座を望むように七座神社が鎮座する信仰の山でもある。最高峰の権現座は右の写真でも米代川をはさんでもっとも高く見える山である。権現座と松座には三角点が設置されている。
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柳島村からかなり上った岸辺にこんもりした森がみえる。吾嬬の森、又は、浮洲の森と呼ばれる所で、その中に吾嬬権現の社がある。
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山麓に複数の神社があり、登山口には権現神社の石製鳥居と祠がある。雲雀鳥屋は、栃木県宇都宮市の北西郊外に在る標高362mの低山である。
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沖縄の方に行きますと、やはり同種類の話が沢山ありまして、普天間といふ所の普大間権現の由来は、内地でも名高いものです。名前は権現と言つてをりますが、祭神がとつくに沖縄的に変つてしまつてゐます。普天間権現といふ神様は女神で、首里の町の桃原御殿といふ貴族屋敷の娘です。
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この祠に少彦名命を祭り、十二社の和幣を供え奉った。これはすべて十二社の権現のご神意によるものである。少彦名命のみしるしを設け、みたまを鎮めまいらせ永久に国家泰平の維持を祈願した。
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峠の東側は五尺余りの雪庇が発達し、それを打砕いて峠の上に立った。権現様のお宮も鳥居もまだ雪に埋もれて、上の方が少し露われているに過ぎない。三国山の南側の草原だけは地肌が出て居たけれども、頂上は一面の雪で何処でも自由に歩けた。
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「御先祖」は「侍分」に取立てられた。そして「権現様」を背負って渡った川の名を、その苗字として授けられた。
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墓所は福岡市中央区にある大涼山少林寺。死後は福岡に祟りをなす神として恐れられ、幹亮権現として祀られた。廃嫡・出家後の書として『泰雲』が現存する。
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江戸時代は「轡権現」と呼ばれていた。なお付近には、家康の竹杖を祀る「竹根権現社」という神社もあったという。明治時代の神仏分離政策により、「轡神社」に改称された。
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権現さまという言葉が出たので、家光は形を改め、頭をたれて神妙の態である。が、眉間のたてじわが激しくぴくついていた。
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なお、花立山も朝日山同様に烽火台があったことから、この「ウシ」は「牛」ではなく、古代の貴人に対する尊称「大人」で、古代の迅速な通信手段を巨人の営みに例えたものと考えられている。同様の伝説は花立山にもあるが、こちらは山を落としたのは英彦山の権現様となっている。
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黒壁権現は、断岩の上にあって、流れを徒歩でわたると、二条の鉄鎖が下りてあった。誰が云うとなく、権現には天狗が住んでいるというものが、次第にその数を殖してきた。雪の多い朝、雪を下ろしに屋根へ上った小者が、それきり吹雪のなかに行方知れずなったことや、いまのいままで居た老婆が、ふいに縁側から辷り落ちたように見えなくなったことさえあった。
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当初梵舜は金地院崇伝や本多正純たちと共に吉田神道の形式に則って家康を明神として祀ろうとするが、山王一実神道形式での祭儀を推す天海と対立。最終的に天海に論争で敗れ、家康は権現として祀られることになる。以降は山王一実神道が権勢を増し、反対に吉田神道の影響力はその分、後退することになった。
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雪の多い朝、雪を下ろしに屋根へ上った小者が、それきり吹雪のなかに行方知れずなったことや、いまのいままで居た老婆が、ふいに縁側から辷り落ちたように見えなくなったことさえあった。それと同時に、誰がいうとなく黒壁の権現に詣るものが多かった。
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