権現号
7 の例文
(0.00 秒)
-
権現には山王神道・両部神道に基づくものや、自然崇拝と修験道が融合したもの等があり、民間信仰においては地域の名士や不慮の死を遂げた人物などが死後に権現として祀られる例も見られる。なお、「明神号」と「権現号」が区別されずに使用される例も少なくはない。春日大社は武甕槌命・経津主神・天児屋命・比売神の四柱の祭神を祀るが、中世には興福寺が神宮寺として支配的な影響力を持ったため、神仏習合に基づいて不空羂索観音・薬師如来・地蔵菩薩・十一面観音をそれぞれの本地仏とし、社にちなんで「春日権現」と総称した。
...
-
「〜明神」や「〜権現」などと神名を社号としたところや、「〜稲荷」「〜八幡」と「神社」の部分が省略されたところ、「〜社」としたところなどがあったが、全て原則として「〜神社」と称することになった。これを権現号の使用禁止と関連させて、排仏政策によるという指摘もあるが、国家が管理するうえでの都合と言う解釈もある。近代においては終戦まで神社はいわば国家の施設であり、法令上の規則により、「神社」と認められるのに設備や財産などの条件があり、条件に満たないものは「神社」とされなかった。
...
-
一例であり、神社によっては祭神についての異説が存在する場合もあるため、各神社の詳細を参照のこと。なお権現号は公式的に廃された後も寺社或いはその祭神を指す呼称として継続使用されることがある。
...
-
六孫王神社は六ノ宮権現とも呼ばれた。元禄14年には正一位の神階と権現号が授けられている。その後は江戸幕府の滅亡とともに衰微し、また神仏分離により大通寺とも分離した。
...
-
羽黒山頂の羽黒山寂光寺大堂には三山の本地仏が安置されていた。慶應4年の「神仏判然令」によって権現号が禁止され、仏像は廃棄されるか、末寺などに移された。手向の黄金堂にある仏像はその名残である。
...
-
-
神号との組み合わせにより「日光三所権現」、「熊野十二所権現」などのように称される。全国的に最も多く見られるのは「白山権現」、「立山権現」、「羽黒権現」などのように、「山名+権現号」という組み合わせである。その他、少数ではあるが「摩利支天権現」、「薬師権現」、「釈迦権現」のように本地仏の名前がそのまま用いられる例や、「天妃媽祖権現」、「徐福権現」、「将門権現」などのように神名や人名を用いた例、「猫又権現」、「大蛇権現」などのように動物由来の例も見られる。
...