松宮玄蕃
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若狭武田氏は朝倉氏に従属し、国人衆は朝倉氏に臣従しながら武田家再興の機会を待ったが、既に武田氏より独立していた逸見・栗屋・熊谷氏などは完全には従わず、織田氏の勢力が近江国の湖西地域に及ぶと織田信長に通じた。元亀元年、信長が突如として越前に侵攻すると、若狭の粟屋勝久や松宮玄蕃らはこれを迎えて、越前口に案内した。信長は重臣丹羽長秀を守護に任じて若狭半国を与えたが、この時は浅井氏の離反により撤退。
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結果、新道・河内・熊川を得て三宅庄まで進出し、近江国から若狭へ入る街道筋を掌握した。元亀元年4月22日、織田信長が朝倉義景討伐のため越前へ侵攻する際、若狭国内の諸将と共に信長を出迎え、熊川城を「若州熊川松宮玄蕃所」として提供する。粟屋勝久らと共に敦賀の手筒山城攻めを始め信長軍として活躍し、元亀4年の朝倉義景攻めに参陣。
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