旗幟
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名詞
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次第に疲労が加わり、呼吸が乱れる。子路の旗色の悪いのを見た群集は、この時ようやく旗幟を明らかにした。罵声が子路に向って飛び、無数の石や棒が子路の身体に当った。
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唯莫迦だと云はないだけである。それを旗幟不鮮明のやうに思ふのは佐藤の誤解と云はなければならぬ。
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合併問題の予断を許さない推移は、社員を混乱させていた。旗幟を明らかにしたところで、自分の付いた側が敗れれば目も当てられない。一時反対派の旗色が悪かったが、その後少し盛り返しかけたようである。
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ときに東魏軍の旗幟はすべて赤であり、西魏軍はすべて黒であった。
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妻に支配された男同士として、野々村が揚げた反旗の意味がわかる。それを日高に告げたことで、反旗の旗幟を明らかにしたのだ。日高との関係は野々村が告げ、小松原正之の名前は日高から言わせるのがよい。
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この際手柄を立てなければ参戦した甲斐がない、なんとかして首の一つも拾おうものと攻めて来るから、またたく間に追いつかれてしまうのである。勝頼の本陣は敗北しながらもやはり本陣の旗幟は明らかにしていた。それが敵の目標になった。
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しかし、1941年12月8日に帝国海軍がハワイの真珠湾を攻撃して太平洋戦争が勃発したことは両国の友好関係の破綻をもたらした。翌9日、キューバは早くも旗幟を鮮明にし、日本に対して宣戦布告した。その後、日本とキューバは国交を回復させることがないまま、1945年8月に日本がポツダム宣言を受諾して降伏した。
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憾むらくは要路に取ってこれを用いる手腕のある人がなかったために、弘前は遂に東北諸藩の間において一頭地を抜いて起つことが出来なかった。また遂に勤王の旗幟を明にする時期の早きを致すことが出来なかった。
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わたくしたちは、その前駆をつとめた。王の前方には象隊をおき、それらの背上には旗幟や金飾の日傘などが立ててあった。ある象の背には弩砲を置き、国王が都城に近づいたとき金貨、銀貨を撃ち出し、出迎えの群衆に拾わせた。
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しかし、信長はあわてるようなことはなかった。彼はこの機会を利用して、反信長の旗幟を鮮明にする者を誘うような態度に出た。信貴山にこもる松永弾正へはすぐ兵を向けずにそのままにして、むしろ、石山本願寺城の包囲陣を強化すると共に、伊勢湾の九鬼水軍を大坂湾に入れて、毛利水軍の来襲に備えた。
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外交における「〜は遺憾である」という声明は「〜は為されるべきではなかった」という見解の表明として使われている。相手の行為に対する言及であれば非難となり、第三者の行為に対する言及であれば旗幟の表明となる。ただし、いずれの場合も劇的な対処を行わず事態を収拾しようとする意向を暗示するものであることが多い。
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その後、更に又、多くのより若い作家たちに依つて、文壇には新しい氣運が齎らされた。それはその前の二つの運動のやうに鮮明な旗幟を飜す團體の形を成してゐない。唯、それらの作家たちを一括して、彼等以前の作家たちと比較すると、おのづから一つの特色が感じられるのである。
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ただ、彼に今ないものは、その旗幟の上に唱える大義の名分のみです。
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ペンシルベニア州は過去2回の大統領選でも最後まで大接戦が演じられており、有権者の中道志向が極めて高い。そのため、彼のような旗幟を鮮明にした保守派は苦しい立場にある。一時は民主党の対立候補に20ポイント以上の差を付けられ、8月には巻き返して6ポイントまで差を縮めたが、最終的には落選してしまった。
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大臣蝦夷には、それが誰か分らないのだ。真向から反蘇我の旗幟を鮮明にしている者が居ないからだった。いや、一人だけどうにもならない人物が居た。
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野に満ちていた味方の旗幟は、いずれへ潰え去ったのか。
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けれど、数日、井伊谷に滞在していた佐々成政が、やがて勇躍して、自領の越中富山の城へ帰ったことは事実である。また、以後のかれの行動は、一そう反秀吉の旗幟を、強めてもいた。かれの謀臣でもあり、かれの一族でもある佐々平左衛門は、たしなめた。
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