新羅系渡来人集団

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  • もともと天日槍とは、その海を渡って来た新羅系渡来人集団の象徴となっているものであるが、しかしそれだからといって、いつまでもその海を見守りつづけていなくてはならないものではなかったはずである。 ...
  • 要するに、これをみてわかるのは、私たちがいま来ている城崎にしても、出石人ともいわれる新羅系渡来人集団の象徴であった天日槍の族人がひろがって来て開発したところだったということである。 ...
  • だから、私は天日槍を新羅系渡来人集団の象徴、または天日槍族と書いてきたのであるが、かれらがいつごろこの日本列島にやって来たかということについては、天日槍がもたらしたとされているものをもって、われわれはだいたいの見当をつけるよりほかない。 ...
  • 直木孝次郎氏もそう書いているように、天日槍とは新羅系渡来人集団の象徴となっているもので、これは水稲耕作の弥生時代以来の古代日本史を知ろうとする者にとっての、重要な一つのカギとなっているものなのである。 ...
  • 「飼飯」というのが猪などを飼うということであったかどうかは知らないが、いずれにせよ、これが天日槍を象徴とする新羅系渡来人集団と関係があったことはまちがいないようである。 ...
  • しかしにもかかわらず、新羅系渡来の秦河勝を祭った大避神社に墓があるその児島高徳もまた、新羅系渡来人集団の象徴であった天日槍から出ているというのがおもしろいので紹介した。 ...
  • 「又は」「又は」とずいぶんいろいろな社号をもった神社であるが、要するにこれはそれからしてもわかるように、北部九州に「伊都国」をつくって展開した新羅系渡来人集団の象徴で、伊都国王といわれる五十迹手の祖となっている天日槍のそれだったのである。 ...
  • 要するに新羅系渡来人集団の象徴であった天日槍が伊和大神と「国占め」を争ったというのは、先住の渡来人集団と後来のそれとの争いだったのであろうか。 ...
  • 滝川氏も書いているように、これは同じその神の神社を祭るものたち、すなわち「博多湾の糸島水道に上陸して」そこに伊都国をつくって展開していた天日槍を象徴とする新羅系渡来人集団が、のちしだいに瀬戸内海へとひろがって来たことを物語るものにほかならなかったのである。 ...
  • 西淡町阿那賀の阿那とは、近江などにおけるその「阿那」とおなじく、これも天日槍に象徴される新羅系渡来人集団がそこからやって来たとみられる、古代南部朝鮮の小国家安那から出たものではなかったかと思われたからだった。 ...
  • ヒメ神とは、もしかするとこれも天日槍を象徴とする新羅系渡来人集団の巫女だった赤留比売、その比売と同じヒメ神ではなかったろうか、と私は思ったのである。 ...
  • すなわち『日本書紀』垂仁二年の条にみられる「越国の笥飯の浦に泊れり」というのがそれで、これも天日槍とおなじ新羅系渡来人集団の象徴となっている都怒我阿羅斯等の渡来に関連した地名となっている。 ...
  • その亀山神社と同じように、高諸神社が福山のこの地に祭られるようになったのも、『古事記』や『日本書紀』などには「新羅の王子」となっている天日槍がその象徴であった新羅系渡来人集団のひろがって来たあとをものがたるものではないか。 ...
  • 新羅系渡来人集団の象徴であった「瀬戸内海伝説中一つの焦点ともなっている」天日槍に系譜を引く息長帯比売、いわゆる神功皇后を祭るという住吉神社がそのようにしてあるのも、けっして偶然ではなかったのである。 ...
  • さきにみた播磨の高砂市阿弥陀町生石にある生石神社とはどういう関係にあるのかわからないが、「現在の淡路島由良にある古社、生石社はアメノヒボコをまつっている」と西尾牧夫氏の『瀬戸内海に残る朝鮮伝説』にもあるように、こちらの生石神社は新羅系渡来人集団の象徴となっている天日槍を祭ったものであった。 ...
  • まさにそのとおりで、前項でちょっとふれた、天日槍を象徴とする新羅・加耶系渡来人集団のシャーマンが赤留比売というものであったように、その菊理姫というのも、能登・加賀あたりの北陸海岸から上陸した新羅系渡来人集団の祖神を祭るシャーマンにほかならなかったのである。 ...