文壇の大御所

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  • 十八世紀イギリス文壇の大御所、ジョンソン博士は次のように言っている。 シェイクスピア/大山俊一訳『リチャード3世』より引用
  • 大半の作品がドラマや映画になっていて、賞の選考委員もいくつか兼任している文壇の大御所だ。 奥田英朗『ララピポ』より引用
  • 文壇の大御所的存在で、後進との交流にも熱心であった。
  • 「文壇の大御所」と言えば、当時は菊池寛ということになっていた。 巖谷大四『懐しき文士たち 昭和篇』より引用
  • 当時の菊池寛は文壇の大御所と言われ、文士と名のつく程の者は争うて接近して行くような風があった。 石川達三『心に残る人々』より引用
  • やがて彼は、当時のポーランド文壇の大御所でポーランドのスコットと称されるクラジェフスキーの文学グループに参加した。 コンラッド/蕗沢忠枝訳『ロード・ジム(下)』より引用
  • しかし、内閣学士にして文壇の大御所である翁方綱のところに寄りつかなかったので翁が激怒しこれに付和雷同するものが現れる。
  • 晩年には文壇の大御所としてヘルマン・ズーダーマンやゲアハルト・ハウプトマンを紹介し後援している。
  • 久米正雄といえば、一時、文壇の大御所で菊池寛とともに天下を二分する流行作家であった。 草柳大蔵『実力者の条件 この人たちのエッセンス』より引用
  • 文壇の大御所として君臨し、当時北京に赴いた碑学派の鄧石如を排除した。
  • 周作人は長く北京大学教授として令名があり、北京文壇の大御所的存在として、魯迅と南北に名声を分かった時代もあった。 魯迅『阿Q正伝』より引用
  • 当時ドーデはすでに文壇の大御所的人物であったこと、十年来の痼疾こしつにいためつけられながらいつも仕事に追われていたこと、一方ボネはまったく無名の野菜づくりだったことを考えていただきたい。 ドーデ/大久保和郎訳『風車小屋だより』より引用
  • また1738年頃からは回想録を書き始めているが、それに大きく関わったのはオックスフォード大学時代の知人である「文壇の大御所」サミュエル・ジョンソンだった。
  • 表向きは、「警視庁の芸術に対する干渉は歎かはしいが」とは言いつつも、続けて、「しかし今度のことは、日本古典の純潔さを、保護するためからいつても、意義のある禁止である」と、文壇の大御所は言い切った。 和田利夫『昭和文芸院瑣末記』より引用
  • 完成当初は世人の批判を浴びたが、当時の文壇の大御所である張華にこれを見せると、張華は班固の「両都賦」や張衡の「二京賦」に匹敵する傑作だと激賞し、無名の左思に名士の手を借りることを勧めた。
  • 侯景の乱の混乱により、一時期北朝の東魏・北斉に抑留されたが、後に江南に帰り、陳でも文壇の大御所的存在として「一代の文宗」と称えられた。
  • だが、第三番手柄「血染の手形」の例を挙げるまでもなく、ミステリーとしては欠点の多いこの連作に、何故、探偵文壇の大御所はエールを送るのか。 縄田一男『捕物帳の系譜』より引用
  • この時代、サルマナザールは多くの知己を獲得し、後に18世紀の「文壇の大御所」と呼ばれる若きサミュエル・ジョンソンともこの頃に知り合っている。
  • そういう大物を配しての演習ゆえに、文壇の大御所菊池寛や佐藤春夫、『鳴門秘帖』で大衆文学に独自の地歩を確立した吉川英治、今でこそ忘れられたか知れないが、『富士に立つ影』の白井喬二、『雪之丞変化』の三上於菟吉らが勇躍、観戦行に連れ立って行った気持が分かるのである。 和田利夫『昭和文芸院瑣末記』より引用
  • 通俗小説に新境地を見出した菊池寛は『文芸春秋』創刊などを通じて、文壇の大御所として後生の育成に努めることにより、大衆小説はその全盛期を迎える。