散る氣

35 の用例 (0.00 秒)
  • 散る氣の習が付いて居ては、何事を爲しても善く出來ぬ筈で有るからである。 幸田露伴『努力論』より引用
  • 三十一音の和歌、二十八字の詩でも、散る氣で作つて佳いものが出來よう理は無い。 幸田露伴『努力論』より引用
  • こゝに能く合點すれば散る氣の習を除く道も、おのづから分明なのである。 幸田露伴『努力論』より引用
  • 散る氣の習を除く第二の着手の處は、趣味に隨順するのである。 幸田露伴『努力論』より引用
  • 次に散る氣の習のある人は、耳が其の圓を保たぬのである。 幸田露伴『努力論』より引用
  • 換言して見れば、人の成長するのも、衰死するのも、其の人自身の意より成ることでは無くて、自然の手が爲すことであるのだから、散る氣の習の付くのも何も皆自然の手が爲ることである。 幸田露伴『努力論』より引用
  • 散る氣の習の付いて居る人は、の樣なかたちを現はすかといふに、先づ第一に瞳が其のいへを守らない。 幸田露伴『努力論』より引用
  • 何故といふに散る氣の習を改めようにも何にも、既に其の氣が竭きかけて居るのでは、たとへば散財の習慣の付いて居るのを改めて遣らうと思つても、改めるにも改めぬにも、先づ既に其の財が竭きかけて居るのでは仕方が無いやうなものである。 幸田露伴『努力論』より引用
  • 光秀もえらいには相違ないが、定めし平生も、此の事に對ひながら彼の事を思ひ、甲の事を爲しながら乙の事を心に懷いて居るといふやうな、散る氣の習の付いて居た事らしい。 幸田露伴『努力論』より引用
  • 街頭で些細の事より毆打格鬪などをして、警吏の手を煩はすに至る人には、散る氣の習の有るものが多い。 幸田露伴『努力論』より引用
  • 當人の心的状態よりして、散る氣の習を致すと云はうよりは、自然の支配によつて、散る氣の習を付けられて居ると云つた方が適切である位である。 幸田露伴『努力論』より引用
  • 其の樣な人が強ひて宗教を修めるとすると、何樣しても氣は散るのであるが、然樣さういふのは散る氣の習が付いて居る人に甚だく肖て居るけれども、實は氣の散る習が付いて居るといふよりも、他の事に氣が凝つて居るのであると云つた方が適切なのである。 幸田露伴『努力論』より引用
  • 一短句一長句でも散る氣では出來ぬものであるから、用事を濟まさせて後に、句案に耽らせようとしたのは、正に人を教ふる所以の道を得、且つ佳吟を得べき所以の道を示して居るのである。 幸田露伴『努力論』より引用
  • 散る氣の習の既に付いて居る人には一寸斯樣かういふやうに萬般の事を爲て行く事は出來難いものであるが、先づ些細の事からでも宜い、第一着手のところは何でも、爲す可きを爲し、爲す可からざるを爲さぬ、思ふ可きを思ひ、思ふ可からざるを思はぬと、決意決行するのに在る。 幸田露伴『努力論』より引用
  • 我が全幅の精神を以て事に當り務を執るといふことは、正直にさへ有つたならば、何人にも容易に出來さうなことであるが、併し然樣さう容易に出來るものでは無い、或人には散る氣の習癖が附いて居り、或る人には即ち弛む氣の生ずる習癖が附いて居る。 幸田露伴『努力論』より引用
  • 其の一ツしか無い種子が、例の散る氣の習によつて一寸何處やら異な處に入り込んで居るので、聽く所以の者が居ないのだから聞えよう譯はない。 幸田露伴『努力論』より引用
  • ソコデ散る氣の習の付いて居る人の血の運行は、おのづから其の習に相應した運行の習癖を有するであらうし、又血の運行の或る傾向は散る氣の習を生ずるであらう。 幸田露伴『努力論』より引用
  • 再轉し三轉しては、甲の事を仕ながら乙丙の事を思ひ丁の事に當りながら戊己庚辛壬癸の事を思ふやうになり、終に全く散る氣の習の付くやうになるのである。 幸田露伴『努力論』より引用
  • 書を讀みながら其の書の上を我が心が一寸離れて、昨夜聽きたる音樂の調節を思ひ浮めるなどといふのは、氣の張つて居らぬので、散る氣である。 幸田露伴『努力論』より引用
  • そこで一ツでも二ツでも、何か突き貫いて徹底し得たと思つたらば、全氣で事に當るとの樣な光景で何の樣な結果に至るといふことを觀得て、そして刹那々々秒々分々、時々刻々に當面の事を全氣で遣りつけて行く習をつけると、何時の間にか散る氣の習は脱けて仕舞ふやうになるのである。 幸田露伴『努力論』より引用
  • 次へ »

散る氣 の使われ方