手厚い庇護

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  • 当寺は、今川氏人質時代の家康が教育を受けたところとしても知られており、駿府が徳川幕府直轄地となった江戸期を通じて徳川氏の手厚い庇護を受けた。
  • もし、母親が病没しなかったら、ぼくはいつまでも彼女の手厚い庇護下にあり、父親とはうわべだけの親子の関係がつづいたことだったろう。 李成『砧をうつ女』より引用
  • かつては薩摩藩が手厚く庇護し大規模だったところが多いが、現在は車社会の発達で郊外にある大神社へのアクセスも容易になったことや、照国神社などの新興の神社に押されて、かつては社殿の存在しない神社もあったが、南方神社は2010年に社殿が再建された。
  • 一人っ子という同じ境遇にありながら、幼くして母を失い、自由奔放な男親の下で思春期を送ったヒューズと、父の死後、母の手厚い庇護を受けながら成長した井深さんの生き様がいかに違うかを立証できる格好なケースと思ったからである。 中川靖造『創造の人生 井深大』より引用
  • 以来当社は、徳川家康崇敬の神社として歴代将軍の祈願所となり、神職社僧の装束類も幕府から下行されるようになるなど徳川将軍家から手厚く庇護されるようになった。
  • これは平安中期より頭角を現した海老名氏という鎌倉幕府の重鎮の手厚い庇護があった為である。
  • だが、その手厚い庇護が、連れ合いを失った孤独な老人の姿をくっきりとうかび上がらせるのも事実だった。 藤沢周平『三屋清左衛門残日録』より引用
  • 義元も雪斎を厚く信任して手厚い庇護を与えた。
  • 数多くある劇団のうち、20ほどの劇団のみが王侯貴族の手厚い庇護を獲得していたが、モリエールらが加わったデュフレーヌ劇団もまさにこうした劇団のひとつであった。
  • 徳川幕府や諸大名のお抱えとして、長年にわたり手厚い庇護を受けていた大蔵流の狂言師たちはみな俸禄を失い、転業・転職を余儀なくされた。
  • 豊臣秀吉政権下では手厚く庇護され、河瀬姓から今井姓に改め武士と僧侶の身分を持ち、秀吉の吉野花見の際には「兵部茶屋屋敷」を建てて秀吉を招いている。
  • また家光は家綱や綱吉たち自らの息子と孝子との養子縁組も一切結ばせなかったため、将軍家綱は家光死後より、母親に準じる手厚い庇護と敬意を孝子に贈り続けていたにもかかわらず、孝子が死去した際はその喪に服することができなかったという。
  • その後太平天国の乱などで南方の政情が不安になると南方の劇団が北京に集まり、さらに西太后の手厚い庇護を受け北京独自の演劇として一層の発展、熟成がなされた。
  • 朝鮮総督府の手厚い庇護の下、鴨緑江水系に赴戦江発電所など大規模な水力発電所をいくつも建設し、咸鏡南道興南に巨大なコンビナートを造成した。
  • 義演は豊臣秀吉の手厚い庇護を受け、1598年の醍醐の花見を醍醐寺の金剛輪院を中心として執り行った。
  • 明治時代になると、茶道は旧時代の遺物として全く顧みられなくなり、かつ、紀州藩の手厚い庇護もなくなり、茶道・家元制度ともに存亡の危機に立たされた。
  • 醍醐寺は山深い醍醐山頂上一帯を中心に、多くの修験者の霊場として発展した後、醍醐天皇は醍醐寺を自らの祈願寺とすると共に手厚い庇護を掛け、その圧倒的な財力によって醍醐山麓の広大な平地に大伽藍「下醍醐」が発展することになる。
  • 幼くして両親を亡くした昌子内親王を叔父村上天皇が憐れんで手厚く庇護し、応和元年宮中承香殿で初笄、宸筆により三品に叙した。
  • アテーナイ王テーセウスはオイディプースを手厚く庇護し、コローノスの森でオイディプースが最期を迎えることを認める。
  • 天正10年、能登国の太守となった前田利家から寺領の寄進を受け、また、慶長8年、利家の側室寿福院の帰依を受け、その菩提寺になるなど加賀藩前田家から手厚い庇護を受け、隆盛を極めた。