慶元党禁
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その矛盾が現れたのは、淳熙8年に就任した宰相の王淮が朱熹の能力を評価して提挙両浙東路常平茶塩公事に任命したものの、朱熹が王淮の親戚である唐仲友を執拗に弾劾して王淮や唐仲友を推挙していた吏部尚書の鄭丙を激怒させた一件であった。この一件は鄭丙による朱熹への批判から、朱熹の学問に対する批判者の同調、ひいては程学そのものへの批判に転化していくことになり、結果的に慶元党禁の背景の1つになる。紹熙5年、宰相の趙汝愚と外戚の韓侂冑らが協力して光宗を退位させ皇太子を即位させた。
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慶元党禁は、南宋が慶元元年以後、程学を「偽学」として排斥し、その流れに属する学者や政治家の仕官や著書の流布を禁じたこと、程学の中でも朱熹およびその学説が主たる禁止対象とされたことから、朱子学への弾圧事件として知られている。程学に対する批判・弾圧は既に程顥・程頤兄弟の在世中から存在した。
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