心霊科学研究会
全て
名詞
20 の例文
(0.00 秒)
-
公益財団法人日本心霊科学協会は、スピリチュアリズムの思想哲学や心霊現象・超常現象など精神世界を科学的に研究する、1946年設立の学術的心霊研究団体。前身は心霊科学研究会及び東京心霊科学協会であり、浅野和三郎が設立。浅野和三郎の死後も活動を続けていたが、第二次世界大戦で活動を休止、終戦後1946年に関係者により日本心霊科学協会が設立される。
...
-
学生時代に心霊研究の迷信を叩くことを試みるが、逆に心霊研究を正しいと考えるようになり、同研究の道に入る。心霊科学研究会を創設した浅野和三郎の後継者である脇長生に師事。
...
-
日本語の守護霊、地縛霊といった言葉・概念も新しいもので、ヨーロッパの心霊主義に由来するといわれる。日本では、浅野和三郎が心霊科学研究会を設立し日本神霊主義を生み、欧米の心霊研究が日本へ本格的に紹介され始めた。イギリスで心霊主義を学んだ江原啓之が、心霊主義に現代のセラピー文化を取り入れて現代風にアレンジし、スピリチュアルという言葉を用いた。
...
-
大正期には、当時もっとも実践的な心霊研究をしていた宗教団体・大本が巨大教団へ成長し、日本の新宗教・新新宗教の源流の一つとなった。日本の心霊主義運動の父といわれる浅野和三郎は、大正末期に大本を離れ、心霊科学研究会を設立。日本神霊主義を生み、昭和期に入ると欧米の心霊研究が日本へ本格的に紹介され始めた。
...
-
心霊科学研究会は、1923年3月に浅野和三郎によって東京本郷に設立された心霊研究団体。海軍機関学校の英語教官をしていた浅野和三郎は、宗教団体の大本に出会い様々な霊現象に出くわし、1916年海軍機関学校を退官して、当時もっとも実践的な心霊研究をしていた大本に入信。
...
-
-
二人は後に大本教を脱退し、浅野は西洋の霊学と東洋の神霊学を融合し、心霊科学研究会を、谷口は西洋の光明思想を取り入れた生長の家を設立した。大本教の信奉者であった友清歓真も脱退して神道天行居をおこした。
...
-
教団内で有力な信者となり、論客として活躍していたが、1921年の第一次大本事件による大弾圧を受けて、1922年11月から独自の心霊研究体制を画策する。同年12月5日、「心霊科学研究会」結成のための第一集会が東京神田一ツ橋外の学士会館で行われる。さらに、1923年3月23日同じ学士会館で、「心霊科学研究会」創立大会を約50名の出席者のもと挙行する。
...
-
また、王仁三郎は分派が多いことでも知られる。第一次大本事件当時の大本筆頭幹部浅野和三郎は心霊科学研究会を結成し、その思想は近藤千雄や江原啓之といった多くの心霊主義者に影響を与えた。他に谷口雅春と生長の家、友清歓真と神道天行居、岡田茂吉と世界救世教などが代表例である。
...
-
また、その宗教大本から独立した浅野和三郎は、「心霊科学研究会」などの「霊界」を探求・研究する組織を創設し、「日本の心霊主義運動の父」と称されている。この流れから、浅野正恭、新倉イワオ 、中岡俊哉、三浦清宏、つのだじろう など多数の心霊研究家が輩出されている。
...
-
早稲田大学を中退して大本の専従活動家になっていた谷口は、出口王仁三郎の『霊界物語』の口述筆記を任せられたり、機関紙の編集主幹などを歴任するなど、教団内で嘱望されていたが、1922年の第一次大本事件を期に、浅野和三郎に従って大本から脱退。浅野が旗揚げした『心霊科学研究会』で宗教・哲学的彷徨を重ねていたが、当時流行のニューソートの強い影響を受け、これに『光明思想』の訳語を宛てて機関紙で紹介した。
...
-
神諭が発禁となったため新教典が必要となったという切迫した事情があったとも言われている。王仁三郎の手法に失望した多くの幹部や信者が教団を去り、浅野は心霊科学研究会を、谷口雅春は生長の家を、友清歓真は神道天行居を設立した。第一次大本事件の後、王仁三郎は自らのカリスマと新教典『霊界物語』を中核に新たな展開を行なった。
...
-
教団内で有力な信者となり、論客として活躍するも、1921年の第一次大本事件による大弾圧の後は教団を離れ、1923年3月、「心霊科学研究会」を創設。伴に大本を離れた人物として生長の家創始者谷口雅春が居る。
...
-
戦後1946年12月、弁護士の吉田正一が中心となり、旧「東京心霊科学協会」のメンバーによって「日本心霊科学協会」が設立され、2箇月後には機関誌『心霊研究』を再び発行した。浅野正恭や脇長生もこれに参加していたが、立場の違いから浅野正恭や脇長生は1949年、「日本心霊科学協会」を脱退し、「心霊科学研究会」を復活させ、同年4月『心霊と人生』を復刊した。「心霊科学研究会」は、1959年、「日本スピリチュアリスト協会」と改称し、浅野正恭・脇長生両名が亡くなった現在も活動を続けている。
...
-
「ポルターガイスト」とはドイツ語で、poltern+ Geist、すなわち「騒がしい霊」という意味の合成語である。日本では心霊科学研究会の浅野和三郎が「ポルタアガイスト=騒々しい幽霊」と和訳、幽霊屋敷に起きる現象として紹介した。心霊主義では、心霊現象の一つとされる。
...
-
浅野正恭や脇長生もこれに参加していたが、立場の違いから浅野正恭や脇長生は1949年、「日本心霊科学協会」を脱退し、「心霊科学研究会」を復活させ、同年4月『心霊と人生』を復刊した。「心霊科学研究会」は、1959年、「日本スピリチュアリスト協会」と改称し、浅野正恭・脇長生両名が亡くなった現在も活動を続けている。
...
-
また神諭は社会改革と終末思想の色彩が濃いため、当局の追及をかわすためにも教義と神話の発展と重層化を試みたという指摘もある。第一次大本事件と『霊界物語』の教義化を契機に多くの教団幹部・信者が大本を去って行き、その後浅野和三郎は心霊科学研究会を、谷口雅春は生長の家を興した。この第一次大本事件は、王仁三郎と対立する浅野達を大本から排除すると同時に、大本の名前を全国に宣伝するための方策だったという解釈もある。
...
-
同年関東大震災で被災し、妻・輝子の実家である富山に疎開中の10月10日、長女の恵美子が誕生。雅春は、外資系石油商ヴァキューム・オイル・カンパニー勤務の傍ら『心霊科学研究会』で宗教・哲学的彷徨を重ね、一燈園の西田天香らとも接触した。特に当時流行していたニューソートの強い影響を受け、これに『光明思想』の訳語を宛てて機関紙で紹介した。
...