御最期
42 の例文
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良助がひざまずいてそのからだをあらためると、大弐の首は皮一枚を残してたいらかな切口を見せていた。いささかのお苦しみもなかったろう、まことに御立派な御最期であった。そう思った良助は、大弐のからだにむかって合掌しながら、われ知らず念仏を唱えていた。
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旧藩士の人々は几帳面に一々棺のふたをとって、こういう死者の姿と対面した。そしていずれも、 「立派な御最期にござります」 と遺族に挨拶した。高範もひさ女に附添われながら、不自由な身体を橇にのせて告別にやってきた。
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たって父ぎみに付いて行くほどなら、父ぎみの御最期もよう見とどけよ。
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三日後の六月十八日の朝、おあんは、夫・斎藤利三の自刃を知らねばならなかった。「見事な御最期だったとのこと」 随風は、目に悲憤をこめて語った。「京の銀閣寺にほど近い、白川畔の捨て小屋にひそんでいたのを、褒賞めあての訴人がいて敵にかこまれましたが、昨日の夕暮れ、内蔵助どのは、腹を真一文字にかききり、その臓腑を敵に投げつけたそうでごじゃりまする」 端座して聞くおあんの両眼に涙があふれたが、嗚咽はもらさなかった。
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あなた方の敵は、今生きながら棺桶の中へとじこめられようとしているのです。あなた方のあの残酷な御最期にくらべては、これでもまだ足らないかも知れません。しかし、僕は智恵と力の限りを尽したのです。
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末山大将は不幸敵弾にたおれられたが、それはトラファルガー海戦に、ネルソン提督が戦死したことと変りない。いや、末山大将の御最期は、ネルソンよりもはるかにはるかに立派だったのだ。また、わが昭和遊撃隊も、じつによく戦った。
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あなたは動いてはいけません。そのままで中佐の名誉な御最期へお胸のうちで万歳をおとなえ下さい。嬰児さんを、あなたの代りに抱いて行かせましょう。
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案内について来た侍の一人が、三帆にいった。「御最期の場所は、この裏手の山里の曲輪でございます」 それはいわれずとも三帆にはわかっていた。自分が千姫について奥御殿を立ち去る時、秀頼はじめとして御母公も御家来衆もひとかたまりになって山里の曲輪へ続く廻廊へ下りて行ったのを、はっきりと目にしている。
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御最期川の両支流相合する所は、藻の間に深き窪淵ありて、魚の巣窟なり。舟を此処にとゞめて、或は舟上より釣り、或は新聞を読み、或は釣を垂れたるまゝ、舟板に肱枕して午眠す。
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これが無残に廃絶することになった。この意味から、主君の不慮の御最期は二重の遺憾であった。愚痴には違いないが、ただ情ない気がした。
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御最期か、生捕りの憂き目を見るかの二つを出ません。
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泣くにはまだ早かろうぞ。それにつけても大老は、井伊殿は、立派な御最期だった。よかれあしかれ国策をひっ提て、政道の一線に立つものはああいう最期を遂げたいものじゃ。
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君、御最期の折の御無念如何ばかりにおわしたであろう。我慢なく、火よりも熱いものが、目、鼻、口からあふれ出ようとする。
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私は順聖公のお志を継いで日本のためには身命をなげうって働きもすが、順聖公のおん血が一滴ものこっておらん島津家のために働く心は毛頭ごわはん。しかし、日本のために働くにしても、もし久光様が順聖公の御最期に御関係があるのでごわせば、その人の下で働くことは出来もはん。私はお家を去って浪人となって、日本のために働きもす。
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ご家老の楢山佐渡様を総大将にした南部勢が秋田に向けて兵をくり出したのが、御一新の年の七月の末。吉村さんが大坂の御蔵屋敷で御最期をとげられてから、半年とちょいとしか経っちゃいねえ夏のこってす。くどいようだが、私らは徳川の味方をしたわけじゃありません。
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連絡を受けた、草鹿、小西そして家族は現地へ急行し、草刈は小西が到着するのを心待ちにしていたが、臨終には間に合わなかった。看取った憲兵分隊長は「実に美事なる御最期でありました」と小西らに語っている。懐中には藤田東湖の回天詩とともに遺書があったが、後半は伏せられたため自決の原因は明らかになっていない。
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かような折に、かようなことを申上げるのは、人様をおとし入れるようではばかりがありますが、旦那の御最期を思えば、胸にたたんでおくわけにも参りません。旦那の御用件と申しますのは、旦那は私の手をとられて、加助や、お前には気の毒な思いをかけたがカンニンしておくれ。
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