御中小姓
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御山支配役は禄高数石程度の郷士身分である。林右衛門義明は職務に励んだ結果、御留守居御中小姓列に進んだ。細川氏の肥後入国以来小代焼の生産は一子相伝であり、牝小路氏・葛城氏の両本家当主による質を重んじた少量生産、瓶焼窯一窯のみであった。
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甚内の子、二代五左衛門は、家督相続後、正徳3年12月30日、五人扶持に加えて、御切米二両二文を下され、あとに四両となる。御中小姓を経て水道奉行を務めるという。後に大関弥左衛門の女と婚姻し、妻 大関氏との間に嫡男の甚太郎が生まれる。
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天保9年9月8日、安島操、養父の死により家督相続し藩主世子 戸沢能登守正令の側近となる。天保10年10月15日、御中小姓となり、御供方見習として手当金3両を下される。
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宝暦6年6月、新庄藩に召しだされ仕官するという。前掲「戸沢家中分限帳」では「亀松様御中小姓相勤」と記されており、直茂が藩主 戸沢主計頭正良の養嗣子 亀松、後の戸沢上総介正親に仕えたことがわかる。
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