従容
全て
名詞
103 の例文
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ひもじいため夢中で戦場を駆け廻った少年時代は別として、長ずるにつれて、戦火の中を駆けるのは矢張り怖ろしかった。この恐怖は当然、火焔の中に従容と死を待った僧衆たちの偉さを想起せしめた。快川和尚ばかりでなく、あとで聞けば、法泉寺、東光寺、長禅寺など信濃で名刹と言われる禅寺の住職らも一緒に焼死なされたという。
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命令に逆らい、いつかはいずれかの機関の手によって処理される自らの運命を、従容と受け入れるための言葉だったのか。いずれ、桃山が「二度と言うな」と言ってからは、保はひと言もその言葉を口にしなかった。
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それとも、御台のあまりにも静かな、あまりにも従容たる態度に釣り込まれたのであろうか。
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そのために眼がうるむとか、口調が変るということもないのだった。といって、従容、去私、解脱といった気配が感知できるのでもない。冬近い晩秋の野道を珍しく衰弱したコオロギが全身を露出してよろよろとよこぎっていくのを一度か二度、目撃したことがあるが、そのようなそぶりも感知できない。
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極めて従容とした自然な態度だ。如何にフランス人が客商売に適して居るかが分る。
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すぐにも、従容と死を受けとる覚悟でなければ、今の信長の顔を見て、これだけのことはいえないはずであった。
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この時の切腹は江戸時代の泰平になってから久しいことで、作法など諸事を調べた上で行なわれた荘厳なものだったという。萩森は「常態の顔色」で従容と切腹し、家は断絶し、家財は没収された。ただ、藩もこの騒動により、騒動後の12月2日に3年の倹約令を出したが、半知借上から三歩借上に変更され、12月17日には家中に対する借下米、借下銀は全て引き捨てとされるなど、藩は譲歩を余儀なくされた。
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「おたのみ申しまする」 と、彼らはいっせいにいった。高麗人の男が従容たる態度で何かいった。通訳の男がそれを伝えた。
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侍中の李沖や黄門の崔光に重用されて、宮中の奏上文の多くは范紹の手に委ねられた。孝文帝は近臣に対して、「崔光の従容たるは、范紹の力なり」と評した。しばらくして強弩将軍・積弩将軍・公車令に転じ、給事中を加えられ、羽林監となった。
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これといった意志も目的も持ったためしがなく、七回生まれ変わっても国の恩に報いようという風潮にも乗れず、ただ流れに任せてここまで来てしまった自分。死を従容と受け止める心境はまだ遠く、思い残すことがないようにと一時の自由を与えられても、なにをしたらいいのかわからない。十年一日、石切りをして時間を潰している。
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弦楽器をまとったアコンパニヤート。迫る臨終の時を前に、従容と救いの手を待つ心境を語っていく。末尾の2行は第1曲末尾の2行とまったく同じスタンザ。
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やがて彼は、孫策の本陣へ引かれて来た。「万事休す」と観念した彼は、従容と首の座について、瞑目していた。すると誰か、「やあ、しばらく」と、帳をあげて現れた者が、友人でも迎えるように、馴々しくいった。
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だが、と井田中佐は思うのである。従容たる陸相の死は、大河の流れに身をまかして人生を達観した姿にほかならないだろう。いまさら悪あがきをしてなんになる。
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呼び出しをかけるのが吉良方に知れて変に警戒されてはまずい。典膳自身は従容と対ってこようが、襲撃するのが赤穂浪士だと吉良家の者にさとらせぬ必要がある。
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しかし、新たな路は脱出路とはならなかった。凄絶な殺気で彼を呪縛しつつ、白刃の影は従容と近づいてくる。いま動けば、必殺の一撃を浴びせられるのは疑いもなかった。
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私がはいってくるのを見ると、彼女は立ち上りました。そして従容と身を任せきった態度で、粗野な宝石類で蔽われた身体を、私の前にじっと立たせていました。
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園田は遺書の中で、「死にたくない」と本当の気持ちを吐露していた。園田は従容と死についたわけではなかったのだ。死にたくないのに死ななければならないような恐喝を、園田を始め子供たちは受けていたのだろうか。
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