従容たる
18 の例文
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「内密の御用を申しつける」 「はっ」 「いうまでもないが、十蔵、これは大秘事じゃ」 「心得ております」 「また御用を承った上は、いかようなことがあっても辞退はならぬ」 「覚悟のうえでござりまする」 ようやく十蔵はおのれをとりもどした。ひそかな恐怖はあったが、外見は彼らしく従容たる態度を見せていた。「拙者、いのちをかけて、どのような遠国へでも」 「遠国ではない」 と、筑前はいった。
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「内密の御用を申しつける」 「はっ」 「いうまでもないが、十蔵、これは大秘事じゃ」 「心得ております」 「また御用を承った上は、いかようなことがあっても辞退はならぬ」 「覚悟の上でござりまする」 ようやく十蔵はおのれをとりもどした。ひそかな感激はあったが、外見は彼らしく従容たる態度を見せていた。「拙者、いのちをかけて、どのような遠国へでも」 「遠国ではない」 と、大老はいった。
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このとき彼はすでに従容たる態度をとりもどしていた。
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黒騎士はいともたやすく、根元から引き抜いてのけたのだ!左右の家並みにもたれて、二重の柵となった幹の向こうから、従容たる声が言った。
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悲観の極は例の弾機仕掛けに弾ね上げられ、人生を見直し出した従容たる態度の歌であります。蕭条たる秋風に鎗を立てて微笑む鹿之助の顔が眼に泛ぶのであります。
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それとも、御台のあまりにも静かな、あまりにも従容たる態度に釣り込まれたのであろうか。
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「おたのみ申しまする」 と、彼らはいっせいにいった。高麗人の男が従容たる態度で何かいった。通訳の男がそれを伝えた。
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侍中の李沖や黄門の崔光に重用されて、宮中の奏上文の多くは范紹の手に委ねられた。孝文帝は近臣に対して、「崔光の従容たるは、范紹の力なり」と評した。しばらくして強弩将軍・積弩将軍・公車令に転じ、給事中を加えられ、羽林監となった。
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だが、と井田中佐は思うのである。従容たる陸相の死は、大河の流れに身をまかして人生を達観した姿にほかならないだろう。いまさら悪あがきをしてなんになる。
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アゼエ城は一五一八年から二九年にわたって築かれ、一九〇五年、四万ドルで売りに出た話は「衣手の風流」の際に述べたことがある。なおジャックの処刑の際の従容たる態度は、クレマン・マロが詩に綴って称えたくらい天晴なものであった。
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今度は私の番だった。私は、従容たるわが同僚たちの返答を繰返す覚悟で、敢然とプガチョーフを凝視していた。その時私は、兇徒の隊長連のあいだに、頭をまるく刈り上げてコザックふうの長衣を着たシワーブリンの姿を認めて、声も出ぬほどの驚愕に打たれた。
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省内の雰囲気はみるみる一変していった。陸相の従容たる最期が、士官たちの沈み、荒んだ心に、かすかな灯をともしたようであった。
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紀州路に入り、日高郡小又川村に至って、そこに紀伊藩出張所がある、ときいた善之祐は、単身で、営所におもむいて、自首した。隊長は、吉本伍助という男であったが、善之祐の従容たる態度に感服して、兵らに鄭重にとりあつかうように命じた。善之祐以下河内勢八名は、同村百姓喜助の米倉に、収容された。
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従容たるたたずまいは高雅ですらあった。藤太の姿を見ると、椀をおき、微笑をふくんで、おちつきはらって言う。
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この場合、無礼な奴だとは思うが、どんなときでも笑っているようにみえるのがこの男の眼だから、それは辛抱するとして、その三人の家来の眼までが、皮肉に笑っているようにみえて、三成は顔色が赤くなり青くなるのをおぼえた。三成はうやうやしく秀吉の書状をおしいただいたが、わざと従容たる体を装って、それをひらくまえにしずかにきいた。
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それは一体、なんのためだろうか。井瀬大佐は従容たる最期をとげ、弓師団は整然たる後退をした。このようにいえば、餓死し、のたれ死にをし、あるいは、おきざりにされて自決した将兵の霊が慰められるというのだろうか。
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己れの意に反してイングランドの王位に在ること僅か九日、その次の日には早くも死を宣せられた幽囚の女王としてボアシャン塔に送られ、この日まで数へれば七ヶ月は流れてゐる。刑場に於ける彼女の気高い態度、そして従容たる死に就いては、スタエル夫人も麗筆を振ひ、また手近かな所では漱石の所謂「仄筆」も振はれてゐる。だが事実は詩人の空想よりもつと残酷であつた。
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