引揚げる時
13 の用例
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細君はすこぶる気に入って、舐めたり舐められたりしている。
問題は僕等が東京に引揚げる時に、犬をどうするかということだ。
何しろアパート住いの身で、とても飼うことはできないから、東大の学生のK君が犬好きの親父さんと相談して、そのころ彼の家へ引き取るように図ろうと都合のいいことを言ってくれた。
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福永武彦『第一随筆集 別れの歌』より引用
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俺たちプロレタリアート・ボルシェヴィキーが盗人でも乞食でもないことを見せてやれ!
赤布を平服の腕へ巻つけた労働者赤衛兵はピストルを片手に、冬宮を引揚げる時全同志の身体検査をした。
ポケットに入れられたものはどんな小さいものもとり上げそれを記入した。
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宮本百合子『スモーリヌイに翻る赤旗』より引用
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八月十七日というと、夜明けが早い。
後の列車を目標にして作業すれば夜明け近くなって、引揚げる時、その薄明の中で誰かから姿を見られないとも限らない危険があろう。
現に、三時九分の四一二号列車の転覆の時でさえ、逸早く現場に到着した玉川警視は、間もなく夜が明けたと証言している。
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松本清張『日本の黒い霧(下)』より引用
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その日を始めとして、美人鷹匠はその仇めいた姿を毎日空地に現わした。
夕方引揚げる時には鳥籠は空っぽで、雀も鳩も売切れという繁昌ぶりだった。
達也の鷹狩熱はなかなかさめなかった。
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大倉燁子『美人鷹匠』より引用
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梅と桜とが身を沈めたのは、かの清水の井戸であった。
二つの鏡はおそらくこの二人の胸に抱かれていたのを、引揚げる時にあやまって沈めてしまったのか、あるいは家来らが取って投げ込んだものであろう。
主人の七郎左衛門をうしなったのち、越智の家は親戚の子によって相続された。
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岡本綺堂『青蛙堂鬼談』より引用
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と、豪語していた。
木下高級参謀が酒に酔って、若い相沢少尉にからんだのは、第十五軍の戦闘司令所がサドを引揚げる時であった。
ビシェンプール総攻撃が失敗に終ると、牟田口軍司令官は弓師団に絶望して、新たに烈と祭の両師団を合せて攻勢重点を作ろうと考えた。
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高木俊朗『全 滅』より引用
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それよりはむしろ、日本の女を実際ラシヤメンにして見た結果、正直だつたり、忠実だつたりしたために、大いに感謝の意を生じたのかも知れない。
これは徳川幕府の初年の話であるが、肥前平戸をイギリス人の引揚げる時にも、彼れ等は日本人の女房に、大いに依々恋々としたといふことである。
すると、サア・オルコツクもラシヤメンを一人もつてゐたらば、必ずしも、日本の女を軽蔑すること、かくの如きには至らなかつたかも知れない。
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芥川竜之介『日本の女』より引用
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よくお信へそんな事をいったが、そればかりでなく、一時は、妙な事にもなりそうだった綱渡り小屋の小新の一件も太夫元が骨を折ったのと小吉の正体が次第にはっきりして来ると共にやくざ共もちょいと泣寝入になって終ったような恰好で、二月末に大阪へ引揚げる時は、みんな揃って挨拶に来て行った。
子母沢寛『父子鷹 上巻』より引用
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大丈夫よ、ここを引揚げる時まではすっかり休養できて。
それに、わたしが疲れているのはロケットのせいじゃないの。
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ブラウン『天の光はすべて星』より引用
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普通でも手袋をはめて作業するのは、はめないで作業するよりはるかに習慣的なのである。
だが、犯人たちは、現場から破壊工作を完了して引揚げる時、何か「破壊工作の証拠」を残さねばならぬと気が付いたかも知れない。
そこで、偽物のバールとスパナが役立った。
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松本清張『日本の黒い霧(下)』より引用
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自然は、篤が考えていたような優しいものではなかった。
妻の出産が近づき、東京に引揚げる時がきた。
晩秋の一日を荷作りに費した彼が、疲れた身体をデッキチェアに沈めていると、真正面の海に夕陽が落ちかかるのが眼に入った。
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小林信彦『ビートルズの優しい夜』より引用
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土州の坂本龍馬、中岡慎太郎が、薩長の間に立って、周旋した。
坂本は、勝海舟が神戸から江戸へ引揚げる時薩摩藩家老小松帯刀に託した関係上、薩摩と親しい。
中岡は文久三年脱藩して長州三田尻に赴き、禁門の変には長州軍に加わって戦ったし、下関の外戦にも参加したほど長州とは深い関係にある。
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南條範夫『山岡鉄舟(一)』より引用
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ところが、くだらんことに責め立てられて、着いたその日から、逃げ出したくなったよ。
引揚げる時にゃ、やれやれと思ったもんだ。
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チェーホフ・アントン『かもめ』より引用