常行三昧
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同社社伝によると、安和2年9月19日に武蔵国荏原郡大井村字関ヶ原の常行三昧寺住職であった尊栄法印が常陸国鹿島神宮から分霊を勧請したことに始まり、同日、別当として、来迎院を建立、慈覚大師がつくった薬師如来像を安置したという。常行三昧寺は江戸時代、1653年に大井から現在の南品川に移転した。
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身の回りのものを整理し、ある先輩に祝い事があり、満行の後でもよいものを先渡ししていたことを考えてみれば、いつでも死ぬことの出来る覚悟をしていたのであろう。立派な理由があって常行三昧に入ったのではない。罪障消滅、それだけであったと思われる。
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罪障消滅、それだけであったと思われる。この常行三昧九十日、摩訶止観の教えの全てが実践できたとは思えないが、六割ほどはできたのではないだろうか。法華堂の柱がどこまでも太く揺れ、そびえて立ち迫ってきた。
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天台大師『摩訶止觀』で述べられる四種三昧の内、常行三昧にあたる。ここからこの例時作法自体を「常行三昧」と呼ぶこともある。阿弥陀如来の浄土である極楽に往生することを目的として勤められる。
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酒井と高川は親子ほど年齢の差があるが、叡山学院でも同期、本山交衆も同じ三期生で、やはり三年籠山の最中だった。まったく同じ時期に、二人の男が常行三昧に入るとは比叡山の歴史にもないことで、全山が注視するところとなった。六月一日、酒井は法華堂に籠り、高川は常行堂に入った。
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いかに厳しいものか。明治時代にある僧がこれに挑んだが、足が腫れあがって倒れ、一週間後に「常行三昧はしないようにして欲しい」と遺言をして死んだ、と伝えられている。以後は途絶えていた。
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小林師は、百日回峰はしているが、常行三昧はしていない。自分がやれなかった難行を、四十七歳の酒井が九十日間、わずかの仮眠だけで頑張り通している。
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弁慶のにない堂ともいわれるのは、弁慶がこの二つのお堂をかついだ、という伝説があるからだ。酒井は百日回峰のあと、このにない堂で凄絶な「常行三昧」に挑むことになるのだ。にない堂から釈迦堂へと進む。
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常行三昧堂では、90日間阿弥陀如来の周囲を念仏を唱えつつ、また心に阿弥陀如来を念じながら歩く常行三昧の行を行うことから、常行三昧堂は堂の中心に阿弥陀如来を安置した方形の堂であり、屋根は宝形造が多い。常行三昧とともに天台宗の重要な行とされる法華三昧を修するための堂である法華堂とともに建てられることあり、両堂を廊下で結んで「荷い堂」とも称されることもある。
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その後39歳のとき得度し比叡山延暦寺に入る。千日回峰行に挑む前には、明治時代に死者が出て以来中断していた「常行三昧」という厳しい行を達成。
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酒井は、歩くことにはそれなりの自信を秘めていた。百日回峰も最後の頃になるとさして苦労もなく満行できたし、至難の行といわれた常行三昧もやりとげ、その自信から千日回峰に挑んだ。だから初めての飯室回峰といえども、歩くことには不安を持っていなかった。
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主に真言宗で伝承される。また宝冠阿弥陀如来というものもあり、こちらは天台宗の常行三昧の本尊として祀られる。紅玻璃色阿弥陀如来と同じく宝冠などの装身具を身につけ、金剛法菩薩、金剛利菩薩、金剛因菩薩、金剛語菩薩の四菩薩を眷属とする。
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常行三昧堂とは、天台宗において四種三昧のうち常行三昧の行を修するために建てられた仏堂である。常行堂とも称される。
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ところで、慶寛という名の沙門がいて、京の北山に住して西方極楽浄土に憧れ、天台の一心三観とか四種三昧を行じていた。慶寛は、このとき、施無畏寺の東のほとりに一室を構えて常行三昧を修していたが、そのうちにうとうととして夢を見た。その夢はこうであった。
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恵心僧都源信の流れをくむ浄土真宗の宗祖親鸞も、かつてはこの常行堂の堂僧であった、と伝えられている。酒井が常行三昧を発願したとき、高川慈照という二十六歳の青年僧が、これもまた同じく常行三昧を発願した。酒井と高川は親子ほど年齢の差があるが、叡山学院でも同期、本山交衆も同じ三期生で、やはり三年籠山の最中だった。
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奈良時代には智光や礼光が浄土教を信奉し、南都系の浄土教の素地が作られた。比叡山では、天台宗の四種三昧の一つである常行三昧に基づく念仏が広まり、諸寺の常行三昧堂を中心にして念仏衆が集まって浄業を修するようになった。貴族の間にも浄土教の信奉者が現れ、浄土信仰に基づく造寺や造像がなされた。
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日本における常行三昧堂については、851年円仁が比叡山に建立したものが始まりとされる。常行三昧堂では、90日間阿弥陀如来の周囲を念仏を唱えつつ、また心に阿弥陀如来を念じながら歩く常行三昧の行を行うことから、常行三昧堂は堂の中心に阿弥陀如来を安置した方形の堂であり、屋根は宝形造が多い。常行三昧とともに天台宗の重要な行とされる法華三昧を修するための堂である法華堂とともに建てられることあり、両堂を廊下で結んで「荷い堂」とも称されることもある。
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