巻下
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大毘婆沙論巻七七では、世間で常識的に知られている事柄や、世間で便宜的に約束として決めている道理などを世俗諦とし、無漏の聖智によって見とおされた真実の真理を勝義諦としている。三論宗の吉蔵は二諦章巻下において、二諦には古来から十四の異説があるとしている。その中で代表的な説は、二諦の体は一である、二諦の体は各別である、二諦の体は中道である、という3つの説であるという。
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それぞれの国の位置関係、行程に基づいた距離、生活習慣、農業や宗教についてまとめたものだ。巻下は「志物」と題して、主な貿易品目について解説がある。脳子や乳香、没薬など、植物性の香料に関する記事が大半を占める。
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巻中では、十四経絡の気の発するところを記述した篇で、各経の流注について巻上よりも更に詳しく論じ、補気と各経絡に所属する経穴について説明が加えられている。また、巻下では奇経八脈の循行についても論じている。日本では、江戸時代に岡本一抱が分かりやすく『十四経絡発揮和解』として、その内容をまとめ直している。
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この市に『白氏文集』第三「新楽府」という古い巻子本が出たことがある。この本は平安時代の古写経『諸佛要集経』巻下の紙背に書写されたもので、その奥書によると建長四年に東大寺の僧密乗という人が書写したものであるということになっている。そしてなお、その四年後、康元元年に同じ人の手で朱の注・点が加筆されたとある。
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民間でも同じ傾向が見られる。唐代の姚汝能は『安禄山事蹟』巻下のなかで、天宝のはじめ頃には上流階級か一般庶民かにかかわらず、男たちはみな胡服を着るのを好み、豹の皮の帽子を被り、婦人は「歩揺」という髪飾りをつけ、襟と袖の細い服を身につけている、識者にはすぐに異民族のものだとわかる、と書いている。袖の細い服は異国か異民族のものだということは早くから知られており、『梁書』巻五十四「列伝第四十八・西北諸戎」には、鮮卑族の女性も高昌国の女性もみな袖の細い服を身につけていると書いているから、漢民族の女性のそうした服飾は意識的に「胡服」のまねをしたにちがいない。
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唐の李翺『五木経』および李肇『唐国史補』巻下によると、樗蒲ではサイコロのかわりに5枚の板を投げた。板は片面が黒く、もう片方が白く塗られていた。
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また広州の開元寺には「胡人」がいるともいう。李肇撰『唐国史補』巻下「師子国海舶」によると、宝物などを積んだ師子国の船はもっとも大きく、タラップで乗り降りしている。書信を送るには伝書鳩が使われ、数千里離れても正確に故国に帰る。
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平安初期、嵯峨天皇時代の勅撰漢詩集に『文華秀麗集』がある。その巻下「雑詠」の中に、滋野貞主、巨勢識人の「草合」を詠じた「闘百草」七言長篇詩二首が収録されている。原文は岩波日本古典文学大系の『懐風藻・文華秀麗集・本朝文粋』に収められている。
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経典の用法として、釈迦を「釈迦大師」と呼ぶ例や、仏法そのものを大師と呼ぶ例がある。北宋初の賛寧による『大宋僧史略』巻下「賜師号」によれば、その始まりは、唐の後半、懿宗皇帝の咸通11年、旧暦11月14日の延慶節の談論の際に、左街の雲顥に「三慧大師」、右街の僧徹に「浄光大師」の師号を賜った時であるとする。つまり、それ以前には法師号や禅師号しか無かったとする。
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白馬を「あおうま」とのみ訓みしは、『平兼盛家集』に「ふる雪に色もかはらで曳くものを、たれ青馬と名け初けん」、高橋宗直の『筵響録』巻下に室町家前後諸士涅歯の事を述べて、白歯者と書いて「アオハ者」と訓ず、白馬を「アオ馬」というがごとしといえるにて知るべし。すべて色は温度電力等と違い、数度もて精しく測定し得ず、したがって常人はもとより、学者といえども、見る処甚だ同じからず、予この十二年間、数千の菌類を紀伊で採り、彩画記載せるを閲するに、同一の色を種々異様に録せる例甚だ多し。
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二辺は、中道を離れた両極端を指す。仏典では『中論』の巻四が〈有・無〉あるいは〈常・無常〉を、『順中論』の巻下が〈常・断〉を、『摂大乗論』世親釈の巻一が〈増益・損減〉を二辺の語義として挙げている。
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王翰の「涼州詞」の詩句「葡萄の美酒 夜光の杯」にもあるように、葡萄酒は唐の人たちに好まれた。また、唐代の李肇撰『唐国史補』巻下「叙酒名著者」によると、西域に産する菴摩勒、毘梨勒、訶梨勒の三つの果樹の実の汁をしぼって「三勒」という酒が造られるが、その醸造法を考案し、かつ造ったのはペルシア人だったという。じっさい「胡姫」と呼ばれた異国の女性がホステスを勤める酒場は「胡人」たちによって経営されていたものもあり、唐代にはそれらの酒店が「酒家胡」と呼ばれた。
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世親は、「礼拝、讃歎、観察、作願、回向」と五念門を説き、往生浄土のための行の中、自ら修めた諸功徳をすべての衆生に回向して、ともに浄土に往生して仏となることを重要な項目としてあげている。曇鸞は、『浄土論註』巻下において、「往相」、「還相」の二種の回向があると説いた。
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衛宏『漢旧儀』や応劭『漢官儀』をはじめとして、『白虎通義』衣裳篇や『釈名』釈衣服、『独断』巻下、『孔子家語』冠頌、『続漢書』輿服志などの中に、漢代の衣服一般に関する制度が記録されているが、それらはもっぱら公卿・百官の車駕や冠冕を中心としたものである。
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冠服制度は『礼制』に取り入れられ、「儀礼」の表現形式として中国の衣冠制度はさらに複雑になっていった。衛宏『漢旧儀』や応劭『漢官儀』をはじめとして、『白虎通義』衣裳篇、『釈名』釈衣服、『独断』巻下、『孔子家語』冠頌、『続漢書』輿服志などの中に、漢朝の衣服一般に関する制度が記録されているが、それらはもっぱら公卿・百官の車駕や冠冕を中心としたそれである。
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