工藤英一
2 の例文
(0.01 秒)
-
以上は細民街の例であるが、これにまさるとも劣らない悲惨な状況を浮浪者の生活に見ることができる。昭和初期に深川浜園町で東京市営無料宿泊所の係員をしていた工藤英一の『浮浪者を語る』によれば、彼らは残飯のことをヅケといい、それを仲間に売り歩く者をヅケ屋と称したという。ヅケは一定の仕事場に常雇いとなることを意味する「面付け」から出たことばで、細民街の残飯と異なるのは、供給源が一膳飯屋、仕出し料理屋、家庭の厨房などの〝小口〟であることだった。
...
-
社会経済の変化に従って、最底辺の生活にも変化が生じるのは当然だが、それは新たな惨めさを付け加えるだけであることが、とくに職業の内容を見ていくことによって明らかになる。そうした事情を、昭和十年前後に輩出したいくつかの下層社会レポート中、草間八十雄と並んで最も生色のある工藤英一『浮浪者を語る』から窺ってみよう。まず立ちん坊である。
...