岡田八千代

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  • イの一番に伺ったのは、慥か岡田八千代女史のお宅だと覚えています。 若杉鳥子『職業の苦痛』より引用
  • それで今日もぼんやりしていたのですが、傍の孫がそでを引くので、見返ると岡田八千代おかだやちよ女史が笑顔で立っていられました。 小金井喜美子『鴎外の思い出』より引用
  • 妻・岡田八千代は小説家・劇作家で、小山内薫の妹である。
  • 岡田八千代さんも箏の方を助けてくれた。 長谷川時雨『朱絃舎浜子』より引用
  • 母方の従兄弟である岡田三郎助が東京美術学校にいたことから師事して絵画を学んだが、三郎助夫人の岡田八千代から文学も学んでいた。
  • 長谷川時雨のいくつかの舞踊劇、木村富子の振事や世話ものが舞台にのぼされるのは、所謂旧劇の畑に個人的な伝統の連絡が保たれているからであって、小山内薫を兄としつつ岡田八千代の劇文学における活躍の流達を欠いていることも様々な感情を誘う。 宮本百合子『婦人と文学』より引用
  • また、森まゆみ『鴎外の坂』によると、妻・久子も白井真如の名で劇評を書いていたとし、彼女や岡田八千代など、女性の劇作家・劇評家を育てたことも大きな業績であるとしている。
  • 横眼で見ると岡田八千代女史と呂昇君だ。 佐藤垢石『美音会』より引用
  • 大場白水郎が主宰する『春蘭』の同人となり、岡田八千代や、同い年の鈴木真砂女と交流した。
  • 岡田八千代おかだやちよ女史も、国木田治子くにきだはるこ女史も富士見小学で学ばれました。 長谷川時雨『大塚楠緒子』より引用
  • 賛助員としては、劇作家として活動していた長谷川時雨、小説家として立っている岡田八千代、小金井喜美子、森しげ子、国木田治子、歌人の与謝野晶子、そして社員には、当時の新進であった野上彌生子、田村俊子、水野仙子をはじめ文筆的な活動をする十二人ほどの婦人の顔ぶれが網羅された。 宮本百合子『婦人と文学』より引用
  • 博文館から發行される「葉書文學」といふ雜誌に、岡田八千代夫人の談話筆記だつたと記憶するが、その愛讀書について述べてある中に、泉先生の作品殊に「笈摺草紙おひずるざうし」が激稱してあつた。 水上滝太郎『貝殻追放』より引用
  • 新富座「新派」の「祭の出来事」「夜明前」の二幕を書き、職業劇団として小山内薫、吉井勇、長田秀雄、岡田八千代の5名の合作で仕事にはじめて関係した。
  • 杉本家は小川家を通じて宮澤家や斎藤家とも姻戚関係で結ばれており、宮澤家から繋がる係累により鳩山一郎・池田勇人・広沢真臣・都留重人・木戸幸一・児玉源太郎・芦原義信・芦原英了・藤田嗣治・岡田八千代・岡田三郎助・小山内薫・立松和平・山中聡・山中崇史らとも姻戚関係にあるといえる。
  • 岡田八千代と知り合った。
  • 大貫かの子、青山菊栄あおやまきくえ田村俊子たむらとしこ野上弥生子のがみやえこ国木田治子くにきだはるこ岡田八千代おかだやちよら十七名のほか義理で与謝野晶子も加わった。 嵐山光三郎『おとこくらべ .txt』より引用
  • 夕方近く、小泉信三、小島政二郎、水木京太、勝本清一郎、和木清三郎、泉鏡花未亡人、岡田八千代らが急を知ってかけつけた。 巖谷大四『懐しき文士たち 昭和篇』より引用
  • 創業時の社員は、岩野清子、茅野雅子、田村とし子、野上八重子、水野仙子ら18人、賛助員は、長谷川時雨、与謝野晶子、、森しげ子、小金井喜美子、岡田八千代、国木田治子ら7人だった。
  • 伊原青々園、岡鬼太郎、川尻清潭、永井荷風、小山内薫、池田大伍、岡田八千代、久保田万太郎、三宅周太郎、などがメンバーだった。