岐阜城主

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  • そして秀吉亡き後、今度は天下分け目の戦の中心となる美濃十三万石の岐阜城主として、その帰趨を全国の大名から注目されることになったのである。 茶屋二郎『遠く永い夢(下)-関ヶ原 戦勢逆転の真実-』より引用
  • 建立時期は不明だが、織田秀信が岐阜城主であった文禄元年から慶長5年頃と推測される。
  • 翌日の朝、山頂の天守閣で岐阜城主織田秀信は毎日見なれた長良川を見て、奇妙な思いに包まれていた。 茶屋二郎『遠く永い夢(下)-関ヶ原 戦勢逆転の真実-』より引用
  • 天正10年6月、本能寺の変で織田信長が死去した後、織田信孝が岐阜城主となって美濃国を支配した。
  • 天正4年、信長から織田家の家督と美濃東部と尾張国の一部を譲られてその支配を任され、岐阜城主となった。
  • 木曽川を越えたら美濃国であり、当時は西軍に与している美濃岐阜城主・織田秀信の領地であった。
  • 天正13年には同じ13万石で岐阜城主となった。
  • 慶長3年の豊臣秀吉死後は、岐阜城主織田秀信の帷幕にあった。
  • ときの岐阜城主が斎藤道三どうさんで、お濃は道三のむすめだ。 池波正太郎『蝶の戦記 下』より引用
  • 平成12年に『天下布武』第13号に掲載された加納宏幸の論文「最後の岐阜城主・織田秀信終焉の地とその子孫」がこれら末裔に関して記している。
  • 天正4年、信忠が信長から織田家の家督と美濃国・尾張国を譲られ、支配と岐阜城主となり、濃姫の養子となった前後から信忠付きの側近となる。
  • 天正10年6月に信長が本能寺の変で死去すると、美濃岐阜城主となった信孝に従い美濃に移った。
  • 慶長5年岐阜城主であった織田秀信は石田三成を中心とする派に付き、関ヶ原の戦いの前哨戦で岐阜城に立てこもるが、徳川家康を中心とする派の福島正則や池田輝政らに攻められて落城した。
  • 秀信は岐阜城に立て籠もって抵抗するが、福島・池田の猛攻は凄まじく、さらに池田輝政がかつては岐阜城主だったことから城の地理を知り尽くしていたこともあって、秀信は8月23日に降伏した。
  • 岐阜城主の織田秀信は三成方に付いたため、秀信の配下だった竹ヶ鼻城主杉浦重勝も西軍に加わった。
  • 籠城戦は23日一日続いたが、前日の戦いで兵力が激減していた上、東軍にかつて岐阜城主だった池田輝政がいたこともあって敗勢は覆いがたく、秀信は秀則と共に自刃しようとしたが、輝政の説得で23日降伏開城した。
  • 岐阜城主、官位は正三位中納言、世に岐阜中納言とも呼ばれた。
  • 天正11年、父が美濃大垣城主となると岐阜城主となった。
  • 美濃岐阜城主織田秀信に仕えたが、のちに浪人して三河に住み、その後関が原の戦いに従軍する為信の軍勢に参加した、とも伝わる。
  • 関ヶ原の戦いの前哨戦にあたる河田木曽川渡河の戦いでは、岐阜城主であった西軍の織田秀信の激しい抵抗を、池田輝政や山内一豊などが兵士数の差を活かして打ち破った。
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岐阜城主 の使われ方