小学唱歌
73 の用例
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に移っていくなど、夜通し歌っている。
それらの歌は必ず、明治大正から昭和のはじめの小学唱歌である。
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佐藤愛子『冥途のお客』より引用
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小学唱歌集を一番から十番まで順に弾いチョクレと言いつけたのはこのわしでありますよ。
井上ひさし『國語元年』より引用
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編集委員は作曲関係に小松耕輔、松島つね、井上武士、橋本國彦、城多又兵衛、下総皖一、作詞関係に、林柳波、小林愛雄である。
先に編集された『新訂尋常小学唱歌』からは大きな変更点があった。
まず、明治以来あまり変更がなかった収録曲が一部の曲を除いて新作にかえられた。
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その晩、珍しく酔った都築は「桃太郎」の歌を歌ってくれた。
祖母がよく歌っていたという昔の小学唱歌である。
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向田邦子『隣りの女』より引用
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このメロディーは明治時代から小学唱歌として親しまれたものです。
柴田南雄『クラシック名曲案内ベスト151』より引用
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それを振りはらって目をつぶると、奇妙なことに、なんの脈絡もなく、昔口ずさんだ歌が頭のなかに浮んでくる。
それは小学唱歌であったり、戦前の流行歌だったりするのだが、愛唱歌というわけでもない。
頭のなかで繰返し歌っている自分に苦笑する。
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加東康一『岳史よ、生命あるかぎり』より引用
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国定教科書にあったのか小学唱歌にあったのか、少年の時に歌った歌の文句が憶い出された。
梶井基次郎『城のある町にて』より引用
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岡野自身による文部省唱歌についての発言は皆無に近い。
しかし下記にあるように、尋常小学唱歌を数多く作曲したという伝聞がある。
讃美歌の影響を受けたと思われるこれらの旋律は、日本の心の歌として長く歌い継がれている。
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一般に小学唱歌として知られている、佐佐木信綱作詞の「夏は来ぬ」である。
この唱歌は五番まであるが、たとえ二番以下は忘れてしまっていても、この一番の歌詞は歌えるという人も多かろう。
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大岡信『名句歌ごよみ〔夏〕』より引用
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この、日本最初の小学唱歌のひとつが終り近くになるころ、ゆっくりと照明が入ってくる。
井上ひさし『國語元年』より引用
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後に編纂された新訂尋常小学唱歌には収録されていない。
他の同時期の唱歌と同様、歌詞の公募制、委員会による作成、楽曲の国による買い取りなどで、歌の作者及びモデルとなった地域は、有志による調査が始まる1973年までは明らかになっていなかった。
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さらにそれまで高学年用の唱歌集にいくつか掲載されていたにすぎなかった戦争色の強い歌が掲載された。
なお、この時の改訂で唱歌集の題名は『満州小学唱歌集』に変更されている。
この改訂で満州の唱歌集はその独自色を失い、本土のものと大きく変わらなくなった。
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したがって、個人的な著作作品にならぬよう、編纂の段階で念入りな計画がされていたと判断される。
合議制の作品集であると同時に文部省の買取原稿の形をとったということからも、尋常小学唱歌に採用された曲のほぼ全てについて、個人の著作物とすることは難しい。
現在の音楽教科書と違い、教科書全体が1つのコンセプトのもとに編纂された。
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一方で教科書疑獄事件やそれに伴う教科書国定化の影響を受け、全国に標準的な唱歌教科書を普及させるため、国語や国史の教科書と違って国定ではなかったものの、文部省著作という信頼を背景に、多くの学校で使用された。
昭和初期まで20年近く使用され、次の『新訂尋常小学唱歌』にも大半の曲が再録された。
更には現在まで歌い継がれる曲もあり、国民に多大の影響を与えた。
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高等小学唱歌は、1930年に文部省が発行した高等小学校用の唱歌の教科書である。
尋常小学校に20年遅れて文部省が初めて編纂した。
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また、小学校の音楽の教科書に採用された際には、題名が『歌を忘れたカナリヤ』と改められ、1952年から1960年まで、5年生の教科書を中心に掲載されることとなった。
当時の子供が歌う歌としては小学唱歌があったが、硬い語感のある歌詞や教訓的な内容は、子供の自然な感情から離れたものであった。
そこで『赤い鳥』では、子供たちのための読物とともに子供のための歌として童謡が数多く発表された。
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新しい曲の作詞は井上赳、作曲は信時潔などが担当した。
新しく作曲された曲は『尋常小学唱歌』の頃とは異なり、合議制ではなく個々の作者がそれぞれ別々の曲をつくった。
全体的に部分的な改訂だったが伴奏譜付きの教材が初めて出版されたのは画期的であった。
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明治の頃から小学唱歌があります。
大正くらいになると童謡が出てきます。
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安野光雅/藤原正彦『世にも美しい日本語入門』より引用
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新訂高等小学唱歌は、1935年に文部省が発行した高等小学校用の唱歌教科書である。
全曲が新曲で先に編集された『高等小学唱歌』とは直接の関連はなく、むしろ『新訂尋常小学唱歌』の続編というのがふさわしい。
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文部省著作の「尋常小学唱歌」の歌詞校閲担当者の一人であり、今日著名な高野辰之よりも権限が大きい立場での校閲者であった。
東京生まれでドイツ留学という点で、「尋常小学唱歌」作曲主任であった東京音 楽学校の島崎赤太郎教授とは標準語のアクセント重視という点で気脈を通じていたと考えられる。
何よりも、上田は、「国語」という思想を創設し、言語学をもって「国語」思想を支えたとして、イ・ヨンスクらから批判を受けている。
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