寺見流
全て
名詞
4 の例文
(0.00 秒)
-
薩摩藩内では江戸後期に島津斉興より御流儀と称され、分家の佐土原藩を除き、藩外の者に伝授することを厳しく禁じられていた御留流である。近隣諸藩にも示現流を称する流派が存在するが、それらが単なる借名か、それとも藩を致仕した元門人による伝授など示現流と関連があったのかどうかは、熊本藩に伝わっていた寺見流以外は多くが失伝しているために不明である。興味深いのは「示現流」の源流の1つである天真正自顕流発祥の地である関東の笠間藩に「回帰」した流れから、佐土原藩経由で延岡藩に伝わり、延岡藩主だった牧野家が常陸の笠間に転封になったことから、笠間まで伝わったようである。
...
-
寺見流とは、熊本藩に伝えられていた剣術流派のひとつ。熊本県に現存している。
...
-
新陰流では上泉信綱が考案したと伝えられ、蟇肌竹刀とも呼ぶ。現在も新陰流、鹿島新当流、馬庭念流、小野派一刀流、寺見流など多くの剣術流派の稽古に用いられている。現存の柳生新陰流は表面に赤漆を塗り鍔が無い独特な袋竹刀を用いる。
...
-
現在は、十七代松本泰吾が伝承している。「じげんりゅう」を称する流派は示現流、薬丸自顕流、自源流、示玄流、慈眼流などが存在していたが、現存するのは示現流、薬丸自顕流、寺見流の3流派のみと思われる。薩摩の僧・甲野善衆が霧島山中で天狗より剣技を授かったことに始まり、善衆の弟子の都甲肥前がこれを継承した伝えられている。
...