宮崎太郎
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名詞
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寿永二年五月十一日、平家の武将越中 |前 司 |平 《たいらの》盛俊は一万五千騎を率いて倶利伽羅峠の頂上から少し越中側に下った猿ノ馬場に陣取った。義仲は宮崎太郎の策を用いて、南黒坂、北黒坂の両路から進んで敵を包囲した。平軍がこの方面の偵察を怠り、これに対する防禦をしなかったのが運の尽きである。
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平安時代末期の寿永2年木曾義仲が越中国に侵攻を試みた。その際、この城の城主であった豪族、宮崎太郎長康と共に、以仁王の皇子北陸宮をこの城に迎え入れ、御所を作り侵攻の足がかりとしたといわれてきたが、学問的根拠はなく当時から城であったという確証はない。戦国時代、椎名康胤が上杉氏から叛き武田氏についた際、戦闘の最前線となり、上杉軍が攻略した。
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